姫路城下から北西へ美作を経由し山陰地方に達していた出雲街道は、この三日月町を通過しておりここに宿駅が設けられていた。現在は兵庫県播磨地方の西部、佐用郡の東部に位置している。
江戸時代には三日月藩が成立していて、藩主は度々交代し幕府の支配下に置かれていた時期もあった。出雲街道に沿って細長く町が発達し、宿屋だけでなく問屋場としても栄えていた。
龍野で醤油醸造が盛んになると特産の大豆は三日月大豆と呼ばれて珍重され、他の地域より二割程度高く売れたし、煙草は本郷煙草と呼ばれて、葉煙草の専売局が設けられたりした。産業の町でもあったようだ。
現在市街地は駅や町役場のある周辺と、そこから約1km東部の東三日月と通称される地区に分れ、それぞれ千種川に沿い細長く伸びている。このうち東三日月には街道が屈折する枡形が残っており、宿場町らしい面影を残していた。
その中で町の東端近い位置に本陣を務めていた織田家が威容を表している。公開されてはいないが内部には大名の関札などが多く残されているといわれ、漆喰に塗られた土塀に囲まれた中庭を有し、本瓦葺の堂々とした母屋が望まれた。その周辺には土蔵を従えた平入り中2階の町家が幾つか残り、古い町並の雰囲気が僅かながら感じられた。
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