三木の郷愁風景

兵庫県三木市<産業町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 8  −刃物生産で名高い東播磨の町−





本町の町並。このようにつし二階、虫籠窓と袖壁があり、本瓦葺きで煙出しを付けた典型的な旧家が連なっています。 府内町の造り酒屋
 
 東播地方、近年は神戸市への通勤圏ともなっている三木市は、金物の町、刃物の町として全国に知られている。現在でも市内の八割の事業所が金物関連といわれ、それを裏付ける。
 1500年も昔、この地に漂着した百済からの亡命団の中に含まれていた鍛冶屋が技術を伝えたという伝説があるが、古くは三木は大工職人の町であった。「日原大工」と呼ばれ、国宝級の建造物も多く手がけていたという。

本町の町並 町並の中心にある黒田金物店。鋸の看板に小屋根を被せているのが妙に風情があります。
黒田金物店付近の町並 福井町の町並
 

 町は別所則治による城下町ともなり大いに発展していたが、天正6(1578)年、秀吉の三木城攻めに遭い、落城とともに職人の町並もろとも全て焼き払われてしまった。秀吉はこの地に根をおろす考えで、以後町の復興に当たったが、基盤を失った職人達は出稼ぎをする他なかった。しかし逆にそれが三木職人を他に宣伝するきっかけとなった。秀吉は町方の諸税を免除するなどして住民の生活基盤を整え、職人の定住を促した。
 この頃までは、当地の金物業は木綿など周辺の農業のための野道具鍛冶程度であったが、江戸後期には大工道具鍛冶に次第に転向していったらしく、出稼ぎ大工による販売に留まらず仲買人を立てて材料の仕入れと製品の販売に当たった。職人も鋸や剃刀などの業者が講組織を旗揚げし、同業者の保護に努めた。19世紀に入ると三木の金物業は隆盛期を迎えた。
 現在も本町を中心とする一帯に往時の姿を残している。作家清右衛門を名乗った黒田家は今も町並の中心に本瓦葺のどっしりとした構えを見せ、鋸型の看板が眼を引く代表的な金物問屋である。古い家並が連続しているのはこの黒田家付近のみだが、西側の福井町、城址の北側の芝町・府内町などにも古い町家が広域に散見される。
 古い町並を案内する看板や標識は全くないが、地元は意識されているようで、一部が石畳に改装されていたり、町並の散策会なども行われているようだ。地場産業繁栄の歴史としてこの町並が大切に守られていくことを願いたい。

訪問日:2003.01.02 TOP 町並INDEX