御来屋の郷愁風景

鳥取県名和町宿場町・漁村 地図 <大山町>
 町並度 6 非俗化度 7  −山陰街道の宿駅 交通上の重要な拠点だった−







旧山陰道に沿い長く連なる御来屋の町並


 大山北麓のなだらかな斜面が海に没する伯耆中部の海岸線、御来屋はそうした大らかな地形のもとに開ける町だ。
 元弘3(1333)年に隠岐を脱出した後醍醐天皇がこの地に上陸したとされ、御来屋の地名の由来ともなっている。
 藩政期には伯耆国汗入郡に属しており、鳥取藩領であった。町の歴史としては港町や漁村としての方が古く、藩倉が建ち年貢米の積出が行われていたほか、隠岐方面への航路もあった。天保8(1837)の記録によれば渡海船29・漁船23とある。
 一方山陰道は古くは溶岩台地の上を通っていたというが、江戸期以降現在の海岸部に付け替えられ港と直結している。そのことが町の発展の大きな契機だったのだろう。宿駅に指定されて以後商業が栄えていったことが町並を歩くと良くわかる。牛市も開かれ、また郡役所も置かれるなど政治・経済の中心地となっていた。
 黒ずんだような独特の渋い家並の連なりという印象である。全て平入りの家々はいずれも黒系の瓦を葺いている。赤褐色の瓦が圧倒的に多いこの地域にあっては特徴的に映る。造り酒屋や間口の広い商家型の旧家も所々に見られる。
 なお、山陰最初の鉄道が開通したのはこの御来屋と境港の間で、駅舎も当時のままだという。現在では通過点となってしまっているこの町も、当時は物流の重要な拠点となっていたのだろう。
 
 
 





訪問日:2009.09.22 TOP 町並INDEX