伊佐の郷愁風景

山口県美祢市【在郷町】 地図 
 
町並度 5 非俗化度 9 −セメント工場の懐に抱かれるように残る珍しい町並−
 


 美祢市は県西部の内陸に位置する町で、中国自動車道が横断しICが設けられるなど交通面の利便性は良い。また美祢線、国道316号線が南北に貫通している。人口数万の小都市だが、古くから経済の中心として栄えた歴史を持つ。
伊佐の町並


 







 

 現在の市街中心である伊佐地区は古くは伊佐市と呼ばれ、慶長15年の検地帳には、田305町6反余(町は約1ha,反はその1/10)
、畑79町8反余、屋敷322、市屋敷25とあり、『注進案』によると紺屋4、紙屋6、魚屋13、豆腐屋5、鍛冶屋5、左官4、鋳掛屋2など139の商工業者が記録されており、近隣地区の経済の中心地であった。
 また幕末から明治期には売薬業も盛んに行われ、伊佐売薬として知られ石州や九州北部なども商圏に持ち、富山などと並び称されるほどであった。天保期には32軒の薬商人が存在していたという。
 現在は石灰産業、セメント産業が基幹的なもので、市街地に接しては巨大なセメント工場が聳えている。現在の美祢を象徴するような圧倒的な光景であるが、そのすぐ足元といっても良いところに思わぬ古い町並が残っていた。
 市役所などのある地区から東へ2kmほど外れたところで、国道と工場の間の落ち窪んだようなところにあるため意識せず通り過ぎるばかりで、まして古い町並があるとは思えない。私も何度もここを通過しながら他の人から情報を得て訪ねたしだいである。しかし地図で確認するとこの付近が伊佐地区の中心のようであり、国道が別ルートで計画され工場も町を避けて建設されたため、それ以前の商家が建ち並んでいた頃の姿が残ったのだろう。
 町家風建築もあり平入り妻入りが混在する。一部には漆喰の塗屋造りを呈した商家の建物や、旅館だったのか二階部分に木製欄干を設えたものなど種々雑多で変化が感じられる町並だ。恐らく国道が開通する前はメインの通りであり商店街だったのだろう、店舗の看板が残っている姿が目立つ。現在も営業されている店はわずかだが、古い家並の佇まいからは近年になって形成された町ではなく、在郷町に由来する歴史の遺影が感じられる。古い町並として評価できるものがある。
 北側に宇部興産の工場が間近にあり、町並を歩いていても煙突や巨大なプラント等の設備が見え隠れする。かなり違和感を感じながらの探訪であった。
 
 
 

訪問日:2014.11.03 TOP 町並INDEX