海津の郷愁風景

岐阜県海津町陣屋町 地図 <海津市>
 
町並度 6 非俗化度 9  
−古くから水害に悩まされた地区に渋く展開する南濃の町並−



 濃尾平野を形成する三大河川の下流域は広大な低湿地帯となっており、そこに暮らす人々は堤防に囲まれた輪中集落を形成し、また石垣などで嵩上げした土地に土蔵や邸宅を構える工夫が古くからなされていた。その典型例としてこの海津周辺が紹介されることも多い。



高須の町並


 中心となる高須地区は江戸初期に高須藩が立藩しており、陣屋が建設されている。しかし、町を形成するには余りに苦労の多い土地で、輪中堤は洪水を防御することはできたが内部の排水が困難となり、稲作に悪影響が出るなど低地独特の苦労も多い土地であった。初代藩主徳永氏が水害の多さに辟易し幕府に国替えを申し出たほどであった。
 その後江戸期の大半は松平氏が13代にわたって藩主を勤めた。高須松平氏は徳川家の分家として尾張藩の支藩のような位置にあったが、高須の地自体は天領(幕府領)であった。
 当時の石津郡の中枢として政治の中心となり、また商業活動も行われ在郷商業町的な発達を示していたようだ。町並は西に揖斐川の本流、東を輪中内を貫く大江川に挟まれた微高地に沿って展開しており、水害を受ける可能性の低いここに町人を固めた様子がわかる。
 木質感の高い切妻平入りの家々が連なり、伝統的なつくりの町家の比率も比較的高く、古い町並を残していた。これといった際立った商家建築はないが、近郷の中心として賑やかだった時代を十分感じることが出来る。但し、現在では商いをされている家も少なく、人通りもまばらで静かな家並であった。
 
 
 













訪問日:2012.11.04 TOP 町並INDEX