白鳥の郷愁風景

岐阜県白鳥町【信仰町】 地図 <郡上市>
 
町並度 5 非俗化度 8  −白山信仰の拠点−

袖壁を持つ大柄な商家の目立つ白鳥の町並
 

 長良川の上流域にある白鳥町は周囲を山地に囲まれ、また西は油坂峠を介して福井県に接している。旧美濃国の北端を占めるこの地域は古くから他国との交易の一拠点となり、集落としての歴史は深い。
 その内、霊山・白山登山の南の拠点としての位置付けは揺るぎないものがあり、白山信仰がこの町の基盤といっても言い過ぎではないだろう。平安時代からこの付近には多くの寺社が造営され、厖大な参詣者を迎え入れた。代表的なのが長滝白山神社であり、長滝寺であった。以前は白山中宮長滝寺と呼ばれる神仏混交の修験道場であり、明治期の神仏分離令により寺と神社に分けられたものである。長滝寺は比叡山延暦寺別院と格付けられていた。
 白山信仰は熱心な布教活動により中世全国に広まり、夏は行者が信者を白山連峰に案内し、冬場はお札や薬草を諸国に配布して歩くという地道なもので、白山神社の分社は岐阜県内だけでも500社余りあり、飛騨の白川村(郷)や美濃の白川町の名も白山に由来するという。
 江戸期になると信者の往来は以前ほどでなくなり、町場としてはそれほど大きな発展は見られなかったようだ。国境に接する峠下の町で、立地条件には申し分ないのに意外に感じられる。但し、市街地に残る二日市などの地名はかつて定期市が催されていたことを示し、また越前への玄関には口番所が設けられるなど、政治経済の拠点となっていたことには違いない。無論白山信仰の美濃側の拠点としての役割は続いていた。
 町は長良川左岸に開け、国道が迂回したことから市街地は大きく開発されていない。袖壁を従えた町家建築が、通りを挟んで連なる。いずれも大柄で、現在も店舗として使用されているものは特に間口が広く、見応えがする。横道に入ると清い水の流れる小路もあり、所々に小規模な町家が残っていた。袖壁が切妻の両端だけでなく、中央にも一枚入っている建物が散見されるのが特徴的である。
 軒部分が木製になっているものが見られる点や、出桁調の造りとなっている点など、北陸地方に共通した点が多く見られるのは、油坂峠を通して越前の文化が、あるいは飛騨を経由して越中の文化が流れ込んでいたことを示している。
 姿からして江戸期のものではなく、江戸時代から在郷商業町として今ひとつ栄えていなかったというのは納得できる。但し明治期に濃尾地震により甚大な被害が発生した地域であり、それも推測の域を出ない。しかし今残る旧家の佇まいはその歴史に反して豪勢さが感じられる。 
 
 




 この町は白川村荻町(白川郷合掌集落)への道筋にあたるが、近年東海北陸自動車道の開通により、通過点でもなくなりつつある。町にも今ひとつ活気が乏しいように感じられる。今後衰微の道を辿り、古い町並もろとも過去のものにならないよう祈りたい。



 




訪問日:2007.10.14 TOP 町並INDEX