広島県三良坂町<商業町(在郷町)> 地図 <三次市> 町並度 5 非俗化度 10 −水運を糧に商業が繁栄した− |
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三良坂の町は一本道に沿い町並が展開し、このように一部には妻入り町家も見られました。 | |
三次盆地の南部、馬洗川に沿い三良坂の町が開けている。国道はこの古い町を遠巻きにするような形で建設されたため町の形態はある程度昔のままで、随所に古い町並らしい風景を残している。 乗用車が悠々とすれ違えるほどの街路はもう相当の昔から変わっていないようだ。それは両側に展開する家々がそれぞれ同様に古びていることからもわかる。そしてその中の所々では、伝統的な町家建築が散見される。平入り主体だが妻入りのものも混じっているところが興味をそそる。 中世には備後国三谿(みたに)郡に属し、その頃から市場町として知られていたといわれる。その後江戸も後期に入ると馬洗川の水運を通じて三次との商業的なつながりが深くなり、文政9(1826)年には年貢米が三原蔵納めから三次蔵納めに変更になっている。同3年の記録では、町家147、酒造家4を有していて、賑やかな町場を形成していたことが察せられる。 この町筋は山陰・山陽を結ぶ街道上にも位置しており、北の三次と南の吉舎の両宿場との間宿としても位置づけられていて、町役人も置かれていた。 見たところ明治以前に遡るような建築の旧家は数棟のみのようだったが、大正から戦前にかけての建物は比較的程度よく残っていて、商店などとして利用されている例も多く見られた。 古い町並としての体裁には今ひとつの感はあるが、生活が息づいている自然体の町であった。 |
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