水窪の郷愁風景

静岡県水窪町<商業町・街道集落> 地図  <浜松市天竜区>
町並度 6 非俗化度 8 −信州と境を接する山峡の町−




 
 水窪町は県の北西端、天竜川の支流水窪川に沿う谷間に市街が開ける。谷間の奥は赤石山脈に遮られ袋小路のようなところであるが、飯田線が佐久間ダム建設に伴い水窪川沿いに迂回し、下伊那方面とつながっている。 
 街道沿いに延々と連なる水窪の町並  


 町域北端の青崩峠は峠の北側の斜面が崩れ、その部分が青く見えることから名付けられたそうだが、そのような地勢の険しい峠を経ても信州・遠州の往来は盛んだった。最も重要だった荷は塩で、山国信州にとっては貴重品であった。馬や背負板を使って険しい峠道を往き来したほか、天竜川を使った水運によっても活発に行われた。
 水窪の町はかつて領家村と呼ばれ、枝郷として水久保(水窪)村があった。享保12(1727)の村明細帳によると塩をはじめ茶、米穀、酒造や質屋を営む商人や鍛冶、大工、桶屋などの職人が存在し、街道沿いに家々が建ち並んでいた様子が記録されている。2・6の日には市が立ち大変賑わったという。遠州側からは最後の町場であり、信州側からは険しい峠越え後ようやくたどり着く町で、町そして商業が発達する要素は備わっていたのだろう。峠を控えて宿場的要素もあったといわれる。
 名産として水久保絹と呼ばれた絹織物がある。その丈夫さから遠州第一の名品とされ広く愛好された。その他林業や茶栽培、酒などの醸造業が盛んに行われた。裕福な商人も多かったようで、芸者置屋も数軒あったという。
 町は水窪川右岸の台地上、街道沿いに家々が軒を連ねている。途中少し家並が途切れる箇所があるが、延々1kmほども続き驚きであった。遠州最奥の深い山間部にあって意外性に満ちているというのが正直な印象である。北部を中心に商店が多く、呉服店、靴店など細分化された昔ながらの店舗で、一部は今も営業を続けていた。時に土蔵を挟み、平入切妻の屋根が密度濃く連なる姿は見ごたえがあり、また街路の適度な屈曲や勾配もあり、高い町並探訪感を得ることができる。
 
 


 


 
   


 


 
   


 


 
 右奥の細い坂道に沿っては置屋のような建物があった  

訪問日:2019.11.04 TOP 町並INDEX