御荘の郷愁風景

愛媛県御荘町【門前町・在郷町】 地図 <愛南町>
 
町並度 4 非俗化度 7 −南宇和の商業の拠点 観自在寺の門前町としても発達−




観自在寺の門前 旅館の建物も見られる




 御荘町は県のほぼ南端、僧都川河口付近の平野部に開け、東側の城辺地区と連続した市街地が展開している。
 平安期から戦国期は延暦寺に関連する観自在寺荘が置かれていた。この頃は土佐国であったとの記述も見えるが、江戸期に入り宇和島藩が成立すると同藩領となり幕末まで続いた。
 町の主な発達は港を要とした商品取引による商業町としてのものと、観自在寺の門前町によるものである。平地も少なく小半島も多いこの地域では陸路より海上交通の方が物資の輸送に適していたこともあり、藩の殖産政策によって山地で生産された材木や薪炭、椎茸、漆などが積出され、藩の御用商人が現れ廻船業も発達した。酒や醤油、雑貨などの店舗も集中し、商業町として賑わった。
 一方観自在寺は四国霊場四十番札所でもあり、大同2(807)年開基といわれる古い寺である。しかし門前町としての賑わいは意外にも明治に入ってからで、山門下に寺町が、さらに柳町・馬喰町などの町場が形成された。縁日には露天商が街道沿いに店を並べ、多くの参詣者も集めて各種の興業もとり行われた。
 古い街区は川の北側の東西の街路に沿い見られる。これが伊予と土佐を結ぶ街道でもあったらしい。洋風の構えを持つ銀行の建物、大きな土蔵を持つ造り酒屋なども見られ、かつてはかなりの賑わいを示し地域の中心であったことが伝わってくる。
 ここでは現在も遍路客中心という小さな旅館に泊った。町並を歩くと他にも旅館の看板を掲げる建物が数棟見られるが、いずれも廃業されたか、食事どころのみの営業となっているとのことであった。
 









 坂道になっている参道沿いにはトタンに被われた独特の構えの民家が連なっている。これらはもと茅葺だったに違いなく、兜造りのような外観を示したものもある。いずれも屋根の一方を参道に向けた平入り形式であったが、隣家との間隔が比較的広く取ってあるためか、特徴的な妻部もよく見える。
 わずか200mほどの一本道に展開する小さな町並である。ここの家々がトタンに覆われて居なかった頃は、参詣客も多く賑っていたのだろうと思いながら後にした。

 
   
訪問日:2019.08.12 TOP 町並INDEX