御岳山の郷愁風景

東京都青梅市【講中宿・門前町】 地図 
 
町並度 5 非俗化度 3  −古代より山岳信仰の拠点となった山上集落−

 青梅市外の西には山地が迫り、多摩川の上流域は両岸も急で都内とは思えない峻嶮な地形である。そのような山地の一角にこの御岳山がある。
参道から見る宿坊群 急斜面に展開していることがわかる
 

 御岳山(929m)は御嶽神社をその山頂に置き、その創建は紀元前91年とも言われる古社である。
 関東随一の霊場として古くから崇められ、中世には豪族の信仰を集めていた。山岳信仰の盛んだった頃のこと、修験の中心として鎌倉の武将の信仰をあつめた。また厄除、長寿、子孫繁栄などを願い多くの客が上って来るところとなった。
 徳川家康が関東に封じられると、江戸時代には幕府の寄進もあって社殿の向きを江戸城に向けて改築されている。一般庶民の信仰活動が盛んになるにつれ賑わいを増し、講を組織して大口の参詣団体も途切れることなく訪れたという。
 関東を中心に信者が多く、今歩いても講の名を刻んだ石塔などが無数に見られる。それも尋常ではない多さであり、相当数の客がここを訪ね、祈願していたことを示している。
 そのような多くの客を迎え入れた土地のこと、宿泊施設も多数必要となった。御岳山にはその特徴の一つである講中宿が多く現存している。しかし元々は客を泊まらせる為に建てられた物ではなく、御岳山の神職(御師
<おし>という)の住居としてのもので、信仰者は御師を通して御岳山と繋がりを持つと考えられ、御師の住居に寝泊りしたのが始まりとされている。現在でもその流れを汲む宿坊が多く残されており、特に馬場家は代表的なもので都の文化財にも指定されている。
 厳かな外観を残すものや茅葺の屋根を保っているものもあり、町並風景としては非常に特異な構造であり景観である。多くでは現在でも旅館業を営んでおり、むろん一般の観光客も宿泊することができる。
 本殿近くの一角にはわずかな平坦地があり、ここに土産物屋などの商店がすこしばかり固まっているが、全体には山上集落ということで平らな道は皆無といってよく、急坂の連続する参道に沿い展開する宿坊群の傍らからは山々の眺望も良く、視界が良ければ都心方面にも大きく視野が広がる。
 急峻な山道を登り山上の神社を目指した当時はこの集落にたどり着くことは相当な苦難を伴っていたに違いない。今ではケーブルカーで気軽に訪ねることができ、参詣以外の目的の客も多く登山やハイキングの拠点ともなっている。
   




御師住宅に由来する宿坊も多い 右は代表的な馬場家


 


御岳神社社殿




本殿近くには土産物屋などが集まる町並も見られる


訪問日:2012.05.26・27 TOP 町並INDEX