三崎の郷愁風景

神奈川県三浦市<港町・漁村> 地図
 町並度 6 非俗化度 4
−古くは海軍の基地 現在は遠洋漁業の拠点としてマグロが名産−
 








三崎の町並 木造建築・土蔵・町家風建築・看板建築など様々な表情が見られる
 

 三浦半島の最南端、三崎を訪ねるとマグロ料理を取扱う店舗があちこちに眼につき、それを目当てに訪ねる客も多い。近くには景勝地も多く、半島随一の観光地として知られる。
 中世には水軍の拠点となっていた。半島に勢力を持つ三浦氏が永正13(1516)年に小田原の北条氏の侵攻により滅亡すると、以後は北条氏の支配下となり、安房の里見氏が擁する水軍と敵対するものとして重要な位置を占めていた。
 時代下って徳川家康の関東入国後は徳川水軍の拠点となった。文禄期(16世紀末期)の記録ではすでに400軒余りの家屋が記録されており、町場を形成していた。西国方面からは江戸湾への入口に当たることからも引続き警備上重要な役割を担っており、江戸に出入りする廻船の改めを行う番所が開設されていた。
 江戸に近くまた外洋への出航にも便利であったため、漁業が盛んに行われ、鰹などの遠洋ものをはじめアワビ、海老などが特産として各地と取引された。江戸前期の記録では既に、「当湊所有船数280艘うち漁船137・小買船58・丸木船57・押送船29」とある。また問屋も15軒あったというから、港町・漁業基地を基盤とした商業も盛んに行われていたのだろう。
 海岸部は商業施設なども出来ており、観光地といった風情であるが、一歩市街地の内部に足を踏み入れてみると路地風景が連なり、古い港町の匂いが濃厚に漂ってくる町並であった。或るものは二階部に木製の欄干をしつらえた旅館・料理屋を思わせる外観を示し、又他のものは石造りの土蔵を従えた豪壮な姿を見せる。さらに商店街となっている一角には、二階部分にコンクリート製の胸壁を立ち上げた看板建築が連続した景観も残っていた。漁業・廻船業を根幹とした一つの完成された町を見る思いがする。
 この市街地内部にもマグロの店が散見されるものの、まだ十分素朴さの残る家並風景が多く残っている。首都圏にあって貴重なものといえよう。
 









訪問日:2013.07.15 TOP 町並INDEX