高部の郷愁風景

茨城県美和村<商業町・城下町> 地図   <常陸大宮市>
町並度 5 非俗化度 7 −城下町を基盤に紙業など産業が発達 特徴的な建物も残る−



 
 

高部の町並 短い区間ながら特徴的な建物が見られる 


 高部地区は県の北西部、日立より県域を横断し栃木県鹿沼に達する国道293号から分岐する県道29号沿い、那賀川の支流緒川沿いの谷あいの集落である。古くは建部・武部とも称されていた。
 中世より佐竹氏の支配するところで、国境にも近いことから防衛上重要な位置を占めていた。付近には城が幾つか構えられ、地区にはその一つ高部城があった。下野の那須氏との戦闘時には拠点となった。
 慶長7(1602)年佐竹氏は出羽に移封され高部城は廃されたが、その頃には町の基盤は既に形成されていたといわれる。水戸藩領となって以後、水戸から那須方面へ向かう街道は「紙街道」と呼ばれ紙商人の往来で賑わった。付近は手漉和紙の生産が盛んとなり、鷲子紙の名で広く知られた。明治以降は近代工業により大量生産される洋紙に押されたり煙草など他の作物に代えられたりして衰退した。
 集落は県道29号沿い、32号との交差点付近を中心に開ける。町並の規模は小さいながら特徴のある建物が多く、印象度は高いものがある。まず下見板貼り形式の近代建築が複数見られる点が挙げられる。交差点付近にある三階建の建物は登録有形文化財・間宮家住宅で明治35年築、見事な松が街道にせり出し北側に土蔵を従えている。そこから東側には旧郵便局の建物も洋風の外観で残る。
 東部にある岡山家の楼閣もこの町並を象徴する建物といえよう。塀に囲まれた敷地に聳え、頂部には「花の友」と地酒の銘柄が刻まれる。近くにある案内板では水戸偕楽園の好文亭を模して明治20年頃に建てられたといわれ、邸内には養活園という庭園もあるという。
 このような建物が残っているのは、古くから商業が栄え裕福な家々が多かったこと、幹線道路沿いとならなかったことなどによるのだろうが、近年になっても人口の過度な減少がなかったことによるものか。
 ここは交通が非常に不便な場所にあるにもかかわらず案外知名度があるようで、ネットでも時折情報が流れて来る。私が訪ねている間にも他の探訪者の姿を見た。少し調べると地元の方々が意識され情報を発信されているほか、芸能人が訪ねた動画などもあり、それらを介して訪れる人も少なくないようだ。
 
 


 


 
右は旧郵便局の建物  


 


 
間宮家住宅(左)   

訪問日:2023.04.02 TOP 町並INDEX