宮ヶ浜の郷愁風景

鹿児島県指宿市<港町・商業町> 地図 
 町並度 5 非俗化度 8 -南薩摩の経済の中心であった−
 








 宮ヶ浜の町並 下2枚のような独特の造りの旧家も見られる


 現在は温泉地として知られる指宿だが、もともとは薩摩半島南部の中心地として、鹿児島藩の外城が置かれ、地頭仮屋が宮ヶ浜に置かれ、各所に港が開かれていた。坊津と並んで南薩摩の要港とされていた。
 戦国期は頴娃氏が支配していたが、天正18(1590)年に島津氏の直轄領となり、17世紀はじめ頃に揖宿郡地頭となった家老鎌田政近によって町場が整備された。
 古くからの中心であった宮ヶ浜には、港町が発達した。薩摩湾沿いに鹿児島とを結ぶ谷街道沿いにもあって、商業も発展した。その要因には港や街道の往来のほか、産業として煙草栽培があった。また幕末に大規模な港湾整備が行われたことにより大型船の停泊も容易になったことから、町は更に発展した。池田湖周辺には金山もあり、その積出でも賑わった。
 古い町並が展開するのは国道沿いであり、交通量が多いことから落ち着いて探訪することは難しい。国道を走っていると、唐突に大柄な商家群が現れてくるといったイメージである。平入妻入りが混在しているが、特徴的なのは街路に面して人間の背丈を少し超える程度の非常に低い軒を張り出した構造の旧家が目立つことだ。それらの1階部は改装されているが開放的な構造で商いをされていただろうと推測される。
 現在では単なる国道の通過点に過ぎないが、時計店など商品が細分化された商店の看板が残り、かつてはひとつの街の中心街であったのだろう。




訪問日:2014.01.04 TOP 町並INDEX