宮川町の郷愁風景京都市東山区<花町> 地図
五条大橋西詰の郷愁風景
京都市下京区<花町> 地図
町並度 6 非俗化度 2 −祇園と並ぶ古くからの茶屋街− 





宮川町通の町並 宮川町通の町並


 

 宮川町通(宮川筋)は鴨川の東、川端通の一本東の小路で、四条通から五条通に達している。鴨川の別名を当時宮川と称したことが由来とされ、北から宮川筋一丁目〜八丁目があった。このうち一丁目は祇園の「外六町」の一つされていた。
 宝暦元(1751)年には遊里としての認可を受けている。以後この小路は祇園とならぶ遊興の地として、大いに賑わいを見たのである。
 またそれとは別に宮川筋では、歌舞伎役者などの若衆をかかえて客の相手をさせる家も多かった。四条の色宿・子供宿とも呼ばれていた。貞享5(1688)に刊行された「諸国色里案内」には「こゝは、ぶたい子・かげ間・野良のすみか、ぶたい子銀壱枚、かげ間屋金子壱歩、あるひは百匁」と当時の様子が記される。
 祇園界隈の雑踏とはかわって、この宮川町通は観光客が少なく、その分情緒は一層濃く感じられる。
 
宮川町通の横路地。色町の雰囲気が濃厚に漂います。






五条大橋西詰(六軒通木屋町東入岩瀧町)の町並 艶かしいほどの置屋建築です。


五条大橋西詰(六軒通三ノ宮町東入車尾町)の町並


 一方、五条大橋を挟んでその南西側、河原町通と鴨川の間に「五条楽園」と通称されている一角がある。
 ここも江戸中期の古くから茶屋や遊郭として発達し、当時は北から五条新地・六条新地・七条新地と呼ばれていた。
 この地区は現在に至ってもその雰囲気を色濃く残し、しかも現役と聞くとこれはただものではない。ここにも足を伸ばすこととした。
 ここの遊里は北野上七軒(現上京区)から茶屋株を借受けて営業を始めたとの記録があり、寛政2(1790)年には七条新地とならび遊女屋が許可されている。
 この町の雰囲気は、祇園や宮川筋とは随分異なる。前者が江戸後期からの建築物をそのまま保存活用しているのに対して、ここでは二階に桟を設けて、踊り場調の回廊を廻している。中には銅板葺の軒を張り出させた艶かしい建物も幾つか残っていた。それは近代、昭和戦後しばらくまで続いた遊郭建築の形式のように思える。
 この五条楽園は余り知られていないが、迫力の点では祇園を凌駕するものがあった。

 

訪問日:2005.01.03 TOP 町並INDEX