宮窪の郷愁風景

愛媛県宮窪町【漁村】 地図 <今治市>
 町並度 6 非俗化度 9 −漁業と出稼ぎで栄えた密集型集落−

   

 今治市の北に位置する大島。現在は架橋により本州・四国ともに陸続きとなっている。
 宮窪地区は島の北東部、大川という川の河口部で、島としては珍しく平地に恵まれ、眼前の海は伯方島や鵜島により風波から守られ、港にも適した地形を示している。
 江戸期は今治藩領で、宮窪は大庄屋徳丸家(幕末は河上家)の支配を受けていた。
 中世には水軍の拠点でもあったことから漁業の盛んな集落で、近海漁業を中心に行われてきた。明治に漁業権が設定された時には、水主をつとめた特権から広域の出漁海域を認められ、漁家は明治30年で277戸、大正5年187戸と記録されている。
 幕末から戦前にかけては出稼ぎも盛んで、松山方面で魚や雑貨などを仕入れ、久万方面で売り捌き、そこで仕入れた紙や茶などを売りながら帰るというものであり、久万山商人と呼ばれていた。
 中心集落は大川の右岸に密集しており、漁船の係留された港から二車線の道路を挟んで集落に入ると細い路地が支配している。メインと思われる街路には商店の姿が目立ち、また二階部に木製欄干の残る旅館らしい建物も見られた。明治頃には今治や尾道とを結ぶ航路が発達し始め、港町としての賑わいがあったのだろう。
 細い路地に展開する点は漁村集落らしい一方で、建物は商業町的で、その分重厚な見応えのある町並風景が展開していた。
 
 



宮窪の町並  










港の風景

訪問日:2018.06.30 TOP 町並INDEX