吉備津宮内の郷愁風景

岡山市宮内<門前町> 地図
 
町並度 3 非俗化度 6 −吉備津神社の門前 遊興の地でもあった−




宮内は今は小さな集落となっていてかつての栄華をそこに見出すことは難しくなっていました。鳥居の周辺を中心に旧家が散在して残ります。




大鳥居の内側の回廊入口付近の町並 門前の町並




 金毘羅宮への昔の道標。天保の文字が見えます。 門前の屋敷型旧家
 


 吉備津神社は古くは吉備一帯の氏神として山陽地方屈指の古社であり、約400mにも及び16世紀の建造である長い回廊を進むと、本殿への入口に至る。本殿と拝殿はいずれも国宝で応永32(1425)に再建されたものである。今でも年間を通して参拝客の姿が絶えない。
 本殿より回廊を戻り、大鳥居のある周辺が宮内といわれる地区である。地形的には神社のある吉備中山の麓に街路集落をなしている。ここは門前町として参拝客の休憩所などが置かれた他に山陽道が当地を迂回していた時期もあり、旅籠屋・料理屋・遊郭等があって、備前から宮内通いをする風流人も多かった。中でも遊里としての宮内は特筆すべきものであり、天正10年(1582)、羽柴秀吉の備中高松城攻略の折、将兵のための遊女をこの門前町に置いたのが始まりと言われている。明治に入るまでその地位は揺るがず、宮島・金毘羅と並び中国、四国有数の歓楽街となった。これには、幕府に神社の神領の多くを没収され、財政危機を救うため宮内を遊里としその収入を神社の維持費にあてがう計画があったことも発展の大きな要因となっている。
 現在の宮内には、遊郭のあった残照を見出すことすら困難となっている。しかし大鳥居の脇には、金毘羅への道標が今でも残っており、宮内〜金毘羅という豪遊ルートがあったことを示しているようだ。家並の雰囲気も風格が感じられ、入母屋造りの主屋を持つ屋敷造りや、土蔵造り、厨子二階形式の旧家等が見られた。



訪問日:2002.08.14 TOP 町並INDEX