三次の郷愁風景

広島県三次市<商業町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 7  −川が巴に交わる商都−








三次町の町並


 三次市は三方面から川が集まる盆地の町である。
 中世の城下町から出発したこの町は、その後地の利を生かして交通の中心、物資が集積して商業の中心となった。浅野支藩もおかれ、政治の中心ともなり、要の町であった。付近には四日市から始まる「市」地名が残っており、それらは毎日どこかで市が開かれていたことを示し、今でも駅前付近は十日市町と呼ばれる。
 位置的にも山陰と山陽の中間に位置し、中国山地で産出される鉄、瀬戸内沿岸の塩などの荷が行き来し、中継地であった。当時の中心は十日市町ではなく、巴橋を渡った北側の三次町であり、商家や問屋、そして旅人を泊める宿屋などがひしめいていた。酒屋や米屋、紺屋、質屋など各種商売人の集結する町で、川舟による物資の往来は庄原をはじめとする支川の各方面に至っていた。
 繁栄は明治・大正期まで続き、大正初期の段階でこの地区に木賃宿を含めて宿泊施設が50軒以上あったという。
 この三次町の町並は、かつての町の中心をなしていた通りが今では商店街に踏襲されている。現代的な建物、商店に更新されているものも多いが、袖壁が多くの旧家で残っているのが一番の特徴である。それらには屋号が記されており、商業が栄えた名残を感じさせる。
 巴橋の近くに、町中でも一際眼につく卯建の旧家がある。屋号増田屋、江戸時代後期から酒造業を営んでいたという。妻壁を持上げ瓦を葺いた本卯建と、庇の上に壁を張り出させた袖卯建の双方を備えた珍しい姿である。この町のシンボルといえよう。
 




 付近には「うだつの似合う町」という触込みの看板が掲げられ、訪問者を迎えている。近年になり街路や建物の一部は改修整備され、随分すっきりとした町並景観となった。それには良い面悪い面が同居している。しかし何はともあれ古い町並として認識され取組まれている姿は評価したい。夏季は鵜飼なども行われるこの町にあって、町の古い顔も風化させず守っていきたいものである。
裏小路の土蔵


 


※後半3枚:2003年4月撮影 その他:2008年11月撮影


訪問日:2002.01.06
2008.11最終取材
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