水沢の郷愁風景

岩手県水沢市<城下町> 地図  <奥州市>
 町並度 5 非俗化度 6 −北方を警備する仙台藩の城下町−



大町に残る土蔵を主体とした風景



 水沢は北上川中流域の平野部にあり、地名も川が落合い水に恵まれた集落という意味が込められているという。古代より農耕地として開けており、肥沃なところであった。また中世には既に市日が定められていたこともわかっている。
 寛永6(1629)年には留守氏が北隣の金ヶ崎から水沢城に移封され、以後城下町が造成された。留守氏は伊達政宗の叔父に当たり、同時に仙台藩領として江戸まで継続した。藩域の北端にあったことから北方の警備に重点がおかれていた。伊達氏の家臣としてこの地を含む胆沢平野の開拓を行い、産業も盛んに奨励された。中でも鋳物産業は現在でも町の特産品として珍重されている。それは北上川舟運の拠点が近く、また奥州街道も城下に引き入れられ水沢宿が成立していたことで、一層の発展をみたところが大きい。
 東北本線の駅より西側が古くからの市街地で、駅に近い地区は近代的な商店街が連なり、歴史を感じることは困難である。しかし大型スーパーのある交差点から北に歩を向けると、俄かに古びた看板建築などの目立つ商店が見られる風景に変わる。この道筋は旧奥州街道で、500mほど進んで乙女川を渡った先の柳町交差点で枡形となり左に折れていた。この付近より伝統的な町家建築が見られ、一部では連続性が保持され古い町並を残していた。また乙女川の小さな支流沿いには土蔵が並ぶ一角があって、いかにも水の豊かな町らしい風情をかもし出していた。
 城下町らしい町の風景は市街中心より西側に見られる。日高小路・新小路等、それらしい地名も今に生きており、塀や門が残る小路もあった。代表的なのが内田家で、茅葺の薬医門に広大な庭園を従え、厳かな佇まいであった。この地区を中心に小路の由来、町の歴史を案内する標識も見られ、外来者を意識されていることが伺えた。
 




立町の町並 商家建築が比較的良く残っている


 しかしその他の地区に残る町家や土蔵などの状態は必ずしも良好とはいえない。質的には良いものが残され、町の歴史を感じ取るには充分のものがあるだけに、それら商家群の保存にも力を入れていただきたいものである。


立町の町並




吉小路の町並 日高小路の町並


訪問日:2012.08.15 TOP 町並INDEX