望月の郷愁風景

長野県望月町<宿場町> 地図 <佐久市>
 
町並度 6 非俗化度 6 −旅籠建築も多く残存する旧中山道の宿駅−



望月の町並


 望月は旧中山道の宿場町で、東隣の八幡宿から三二町、西の芦田宿へ一里八町、芦田との間には茂田井という間の宿があったというから、宿駅間は互いに近接している。中山道でも信濃路のこの付近は密度濃く宿場町が設けられていた。
 江戸初期の慶長期に近隣の農村を街道沿いに集めて望月宿が成立している。成立当初は現在とは鹿曲川を挟んで反対側であったが、寛保2(1742)年の大洪水により壊滅したため、左岸側に移転すると同時に道筋の変更も行われた。
 芦田宿側からは瓜生坂という小さな峠があり、川沿いの小盆地に開けるこの宿駅はほっとさせるものがあっただろう。現在は国道がその峠道の下を短絡する。
 宿場内の街道は東端付近はカーブした坂道となり、その後はほぼ一直線、しかも二車線の交通が確保され街路は広い。本陣1、脇本陣1を有したこの望月の町並は、出桁造りの旧家、袖壁を両端に張出させた町家が固まって残る。本陣は形跡を留めておらず、その位置に歴史民俗資料館が建つ。
 天保期の記録によれば旅籠の数は9と宿場町としてはそれほど大きなものではなかったようだが、この望月の町並は、東側の芦田・塩名田宿に比べると間口の広い堂々とした建物が多く眼につき、商業が発達していたものと思われる。藩政時代はほぼ小諸藩領で、藩域南部の物資の集結地だったのだろう。屋号を妻壁に記した土蔵があちこちに眼につく。また山城屋、大和屋など旅籠時代の商号を刻んだ木製の看板が掛けられている旧家なども多く眼にすることが出来、かつての繁栄を感じさせられた。








脇本陣鷹野家(左)



現役の旅館(大正時代の建築)

※全て2018年再訪時の画像

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訪問日:2006.04.09
2018.09.23再取材
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