鉈屋町界隈の郷愁風景

盛岡市鉈屋町他【城下町】地図  
  
町並度 6 非俗化度 6
 
−盛岡城下町の南端 河港を従え物資往来の中心地として栄えた町−


市街地にありながら伝統的な町家建築が多く見られる鉈屋町の町並





 盛岡は周囲の山々と市街地を流れる川の情景が印象的な美しい町である。
 寛永10(1633)年に盛岡城が落成し、南部氏により城下町が本格的に造営された。現在も市街中心に威容をほこる城址の北側を家臣屋敷、城郭を取り囲むように町人町、士町が計画された。十数年で盛岡二十三町と呼ばれる中心街が形成され、その入口には惣門や枡形が設けられ城下町が守護された。
 

 鉈屋町は城下の南端を占め、西は北上川に面していることもあって川運による流通の拠り所であり、また街道の要衝に当たっていたこともあり大きく発展したところであった。地区内にあった新山河岸と呼ばれていた河港は城下の物資の大半がここを拠点に往き来していたとされる。中流域にあたる北上付近まで小型船で運び、そこから大型の船に積替えて石巻に至る航路は城下の大動脈であった。
 現在では市街中心部からやや南にずれた位置にあることもあり、伝統的な町並が比較的良く残されている。むろんそれは河港町や街道の要衝として商家や問屋が多く立地し、城下の玄関としての著しい繁栄があってこそのことであろう。
 平入りの町家は間口が広く、いかにも商家といった出で立ちである。二階部前面に格子が見られる旧家の多いのが特色で、畿内を中心とした都市部では虫籠窓である部位である。全体的に木質感が高く、所々に見られる土蔵の漆喰が眩しく感じられる。近くに大型の商業施設なども見られるが、この界隈だけは城下の一端として賑わった空気を現在に至るまで保っているようである。
 市は国土交通省の事業を活用して鉈屋町の町並景観の修景に取組んでおり、一時よりも古い町並を取り戻したともいえる。市街地にありながらこれだけの伝統的な町家の質量を保有していることは稀少性の高いもので、今後にも期待したいところだ。
 この付近は清い湧水の豊富なところで、訪ねたときそのうちの一つでは水辺の傍らに近所の人々が腰掛け涼をとっている姿が見られた。 
 


 

代表的な商家であった屋号木津屋の土蔵 この画像の周囲にも延々と連なっている






訪問日:2012.08.14 TOP 町並INDEX