守山の郷愁風景

滋賀県守山市宿場町 地図 
 
町並度 4 非俗化度 6 −中山道最西端の宿駅−




今宿地区の町並




守山地区の町並

 
 中山道は東海道の草津宿からわかれ、木曾や信濃の山岳地帯を縫って江戸日本橋に達していた幹線街道で、東海道より40kmほど長いだけで川留めや厳しい改めを受ける箇所も少なかったことから、殊に女性の旅人は東海道より中山道を選ぶことが多かったという。この守山宿は、草津宿の隣に設置されていたもので、江戸からの旅人はいよいよ京が近くなったと万感の思いを抱く地であろう。
 守山駅前付近は大都市近郊の姿を示していて、伝統的な町の姿が存在しそうな雰囲気は感じられない。旧中山道は西に約500mほど離れた位置にあり、その道筋は近代化されたこの町で異質な、歴史を感じさせてくれる風景が展開している。
 京方から今宿、守山、吉身と続くこの旧守山宿は、近代都市化の侵食を受けながらも宿駅時代の遺構を随所に残す。京発ち守山泊りという言葉があり、江戸に向う旅人が泊るに適度な距離があったこともあり投宿する者も多く賑った。江戸初期には既に助郷村(大名行列等の折に宿駅業務を補助する近隣の村)も25ヶ村に及んでいた。朝鮮通信使などの大通行もあり、当時としては幹線道路であり商業も多数立地していた。後背地の農村地帯の豊富な農産物、琵琶湖沿岸の漁獲もそれらを底辺から支えていたことは言うまでもない。
 本陣二軒、それに脇本陣を一軒従え、旅籠三十余軒を有していた守山宿の町並は約1.5kmに及んでいて、幹線街道らしい規模を感じさせる。但し当時の旅籠や商家を思わせる伝統的な家屋の割合は低く、多くの場所では新しい建物の間に散在する程度となっているのは惜しまれる。
 しかし西側の今宿地区を中心に、平入り・つし二階・二階部の虫籠窓を特徴とするこの地区に標準的な古い町家が残っている。街路も一直線の箇所は少なく、宿場町でよく見られる直角の曲折は見られないがカーブを繰り返し、視界を遮る先の家並の展開を期待させる町歩きが楽しめる。
 
 

吉身地区の町並

訪問日:2007.07.16 TOP 町並INDEX