元怒和の郷愁風景

愛媛県中島町【漁村・農村集落】 地図 <松山市>
町並度 6 非俗化度 10 −狭い路地に面して長屋門が多く見られる島の集落−
 


 


元怒和の町並 長屋門風の門が路地内にも多く見られる








路地に接して呉服店が看板もなく営業されていた 

 
 怒和島は松山市の沖にある忽那諸島のうち中島と津和地島に挟まれた西部に位置し、島の東西にそれぞれ港を持ち松山の高浜・三津浜の各港及び周辺の島々と結ばれている。それぞれまとまった集落を持つが、ここでは西側の元怒和集落を紹介する。
 以前は下怒和とも呼ばれ、東岸の上怒和村とならび江戸時代は大洲藩領であった。
 元々は漁業が盛んで、明治36年には漁協が発足して組織的な漁業が行われた。近海は鰯の好漁場で船による漁のほか地引網でも水揚げされ、海岸では一斉に鰯を干す姿がみられたという。その後蜜柑などの柑橘農業、さらに玉葱なども生産量を伸ばしてきた。
 集落の周囲には蜜柑などの畑地が展開しており、諸島の島々の中では農業の比率がやや高いほうだろう。旧家の外観もそれをあらわしているようで、最も眼につくのは長屋門調の重厚な門を持ち、庭を隔てて母屋がある構造だ。元怒和港周辺は狭いとはいえ平地が展開しており、集落の規模からすると土地の余裕があったのかもしれないが、多くがその建て方だ。これは漁村というより豪農宅に多く見られる。
 しかし一方で道幅は港に面した舗装路以外はほぼ路地であり、乗用車の入り込める道は極わずかしかない。この点は漁村的といえる。そしてそのような小路に面して長屋門があるため、集落景観としてかなり特殊な印象を受ける。建て方が統一されているため路地風景には類似性があって、そのためもあってやや迷い易い。
 
 
訪問日:2016.08.12 TOP 町並INDEX