向原の郷愁風景

広島県向原町<在郷町> 地図 <安芸高田市>
 
町並度 4 非俗化度 10 −川船の終点として栄えた在郷町−


 

向原の町並



 向原町は広島と三次の中間にある町で、陰陽連絡の道筋にも面していた。主要街道であった西側のルートは上根峠という難所があったのに対し、こちらは陰陽の分水嶺が非常になだらかな丘陵で構成されているため、三田筋街道とも呼ばれ往来も少なくなかった。芸備鉄道(後の国鉄芸備線)もこのルートを選んで建設されている。 古くは坂村と呼ばれ、現在の町名は当時の向原市という市の名であった。明治34年の『高田郡地理歴史大要』内で
「向原市ハ坂原トモ云フ、昔ハ淋シキ所ナリシガ近年ニ至リ有名ナル市トナレリ(中略)松茸、炭、蚊帳等ハ本村ヨリ多ク産出ス」と記録される。
 この発展は、吉田郡山城主であった毛利輝元が広島城築城の際に、建築資材の運搬に三篠川の水運を優先したことが発端といわれる。この川は瀬戸内海側の水系であり、当地が最上流域にあたるため船を遡行させるのは困難であったが、上根峠を往来するよりは楽であった。その後周辺の山村からの炭や茣蓙、紙、そして年貢米の搬出にこの川が使われるようになったことから、小規模ながら在郷商業町として物資の集散地として機能していたのだろう。
 芸備線の線路を挟んで東側に県道、西側にその旧道が走っている。旧道には袖壁を両妻部に残した平入りの町家が、新しい建物に更新される中である程度の比率を保っている。中二階のものは見られないため、古いものでも明治時代の建物であろう。
 町並が展開するのは台地の上で、南側は三篠川の流れる低地となっている。かつての川港はどの辺りにあったのかは現在では定かではない。ここまで荷船が遡っていたのかと思わせるほど、三篠川の流れは浅くそして穏やかであった。
 
 












訪問日:2007.01.28 TOP 町並INDEX