向洋の郷愁風景 

広島市南区<漁村> 地図
 
町並度 3 非俗化度 8 −工場と新興団地に囲まれて残るかつての漁村集落−
 


向洋中町の町並 向洋本町の町並

 

 山陽本線の向洋駅付近はマツダの門前のようなところで、この駅の利用客の多くが工場への通勤客である。一方で駅の由来となった向洋(古くは向灘)地区は駅より南側約1km、小高い丘の北麓一体を指す。この付近には向洋をはじめ青崎などかつて海岸部であったことを思わせる地名が幾つか残り、そのたたずまいは付近に展開する都市郊外の住宅地の風景とは明らかに異なるものがある。
 中世の頃から大正初期は仁保島村に属しており、耕地は少なく多くを漁業に頼る集落であった。鰯漁が盛んで、肥料(干鰯)として遠方の各地とも取引を行い、富を得るものもあった。また藩の公事に水主を務めたことが契機で対馬近海などの遠方にも進出するようになり、朝鮮半島付近にも漁場を持ち漁村としての収入は多かった。
 塀に囲まれた敷地の広い邸宅が散見されるのは、その当時からの富の蓄積によるものか。さすがに古い町並といえるほどの連続した箇所は少ないが、一見して古い集落だとわかる家並が無秩序に交錯する細い路地に沿い展開している。
 周囲は一方を丘の上の新興住宅団地、他方をマツダの工場敷地と隣り合わせている。事情を知らなければこんなところに古い町並的な風景が残っているのは極めて奇怪に映ることだろう。山裾(かつての島の海岸線)に位置していたことから抜本的な開発から運良く取り残され続けてきたのだろう。
 やがては跡形もなくなるかもしれないが、少しでも長く漁村集落としての痕跡を留めておいてほしいものだ。




向洋本町の町並 向洋大原町の町並



向洋本町の町並



向洋本町の町並

訪問日:2008.03.16 TOP 町並INDEX