向島界隈の郷愁風景

東京都墨田区【都市部の非戦災地区・花町】 地図(東向島付近)地図(京島付近)
 町並度 4 非俗化度 8 −商店街に変貌したかつての赤線地区−

 






 現在の墨田区域はかつて向島区と本所区に分かれており、ここで紹介するエリアは前者に属する。本所が江戸時代に開発された比較的新しい町であるのに対して、向島は古代より武蔵国と下総国の国府を結ぶ官道が通過するところであり、隅田川には渡船も行交い、中世には隅田宿が設けられていた。
 このページではかつて花町として栄えた歴史も持つ東向島地区と、その南側の非戦災地区である京島地区を紹介する。
東向島一丁目の町並




東向島五丁目の町並 東向島一丁目の町並
 

 隅田川は江戸時代以降、文人墨客の風雅の地となり屋形船は江戸の風流の一つに数えられていた。庶民の行楽の地ともなり、遊興の地として賑っていた玉の井は明治以降花街となり、昭和初期には私娼数千人を擁するほどに発展した。これは、関東大震災後に防災対策から隅田川に沿い公園が整備され、ここを訪れる客が流れ込んだことも大きかった。
 玉の井は第二次大戦時に破壊され花町は潰滅したが、南西に少し外れた地区は戦災を免れており、そこを仮の色町として営業させた。旧向島区寺島町一丁目(現東向島1・5丁目)で鳩の街と呼ばれ、現在でも商店街の名に使われる。西部にあった向島花街とも適度な距離があったこともあり急速に賑わいを増し、山手方面から通ってくる者も多かったという。カフェー街とも特飲街とも呼ばれたこれらの赤線地帯は昭和33年に売春防止法が施行されるまで賑っていた。
 現在鳩の街通りと呼ばれる商店街を歩いても、旧赤線地帯らしき面影は淡い。受けるイメージは非戦災地区という方が強く、銅板に被われた商店などに独特の風情を感じることが出来る。街路幅は往時のままなのか、商店街としても随分狭く、軽自動車程度の通行が精一杯だろう。歩いたのは早朝であったが、都市部にあることが幸いして見たところ店を閉じているものや空家となっているものは少なく、地場の商店街として成立っているようであった。
 一方、旧鳩の街色街より南東へ約1km、京島地区も戦災から逃れた一帯だ。旧寺島村で、江戸期には日光街道千住宿の助郷に出役した。向島付近を含め、もともとこの付近は農村地帯であり、本所地区の青物市場に蔬菜類を出荷、農間に筵や木綿織などを行い生計を立てる家が多かった。
 京島とは昭和40年に寺島町と吾嬬町の一部が町名変更して出来たもので、多くは庶民的な住宅地が展開している。細い路地が無秩序に入組んだ箇所も多く、地理に詳しくないものは安易に歩き回ることができない。商家などの豪勢な住宅が無いため古い町並という観点で見ると今ひとつの様相だが、やや広い街路に面しては看板建築の商店があり、また細い路地に沿っては木造の家屋や長屋が見られる。
 ただ一部では再開発事業が予定されているようで、活気のない空家の目立つ一角もあった。


京島二丁目の町並
東向島五丁目の町並


京島三丁目の町並 京島一丁目の町並

訪問日:2008.07.30 TOP 町並INDEX