椋浦の郷愁風景

広島県因島市<港町> 地図 <尾道市>
 町並度 5 非俗化度 9 −廻船業で繁栄を極めた港町も今は昔−
 


 椋浦集落の風景  造りのしっかりした土蔵からもかつての繁栄を感じさせる。






 因島は西部では比較的平地に恵まれていて、町の多くも西岸にある。しかしこの椋浦
(むくのうら)のある東海岸は険しく、山地が海に迫っている。現在では幹線道路からも外れ、集落の前の海岸線を走る道路を通過する車の姿はほとんどない。しかしここが島で最も古い集落、それも廻船業で港には無数の船が横付けになっていたというのだから驚く。
 中世から近世にかけて備後国御調郡に属し、広島藩の蔵入地であった。男は全て海事に携わっていたといい、西海岸の土生などからも乗組員が集まってきて、ここに至る山道は船方道と呼ばれた。今とは逆である。
 19世紀初頭には千石船を三十隻ほど所有し、民家も三百棟あり栄えていたという。藩の物資、御蔵米の輸送に従事し、商人船も多かったという。また鹿児島藩などの港駅としても機能していた。
 海岸に近い道路際には当時の常夜燈が保存されている。
 現在の椋浦の町は非常に静かで、江戸期に帆船が港に充満していたようなところとは俄かには信じがたいような雰囲気だった。民家三百軒どころか一望した所百軒あるかどうかも疑わしく、それも無住になり荒れ放題になっているものも幾つか眼につく。家々は一部を除いて連続せず、小規模な畑などが見られるが、かつてはその位置にも全て廻船に従事する邸宅が密度濃く建っていたのだろう。
 それでも残った家々の構えは漁村集落のそれとは違い、入り母屋の屋根を持ち、側壁は漆喰でしっかりと塗り固められ、軒屋根との継目には張瓦が見られる。一部には妻部に鏝絵も施され、華やかな港町の残影を感じさせた。
 




 移設保存されている常夜燈

 

訪問日:2005.03.28 TOP 町並INDEX