柤岡の郷愁風景

兵庫県村岡町【山村集落】 地図  <香美町>
町並度 4 非俗化度 10 −但馬の屋根とも言える山岳集落−



 


山腹の等高線沿いに展開する柤岡集落 


 国道9号は八鹿から円山川の支流八木川をさかのぼり、峠のトンネルを越え村岡の盆地に下る。町の中心からさらに次の峠道に差し掛かる辺りを左折し、しばらく急勾配の山道を進むと柤岡
(けびおか)の集落に到達する。峠をなす山の中腹に展開し、眼下に熊波川の谷を見下ろす標高500mほどのところである。地図を見ても但馬地方では標高、立地ともにこれほどの山地に集落が位置している例はほとんどなく、典型的な山岳集落といえる。
 中世には中村氏の居城と伝えられる柤岡城が構えられていた。江戸時代に入ると最初は因幡藩領で、その後旗本宮城領、幕府領を経て寛文8(1668)年からは豊岡藩領となった。
 小物成(江戸期の租税)は山手米、綿などが課せられていた。また柤岡地区は但馬牛の種牛を供給していたところとしても知られ、かつては馬喰と呼ばれる牛の売買を行う商人が訪れ、子牛を求めていたという。冬は深い雪に見舞われるこの地では牛を売ったお金は貴重な収入源となっていたという。因みに但馬牛は、全国各地に見られるブランド牛の根源とも云われている。
 坂道を登っていると果たしてこの先に集落があるのかと不安になるようなところであるが、案外開けたところとの印象である。しかし正に山腹の斜面を刻むように立地しており、等高線に沿って石垣が積まれ、そこに宅地や畑地が展開している。
 一部にうだつを持つ家屋も見られるが多くは農家型の建物で、土蔵を従えているものが多い。土蔵は屋根部分を一段高く持ち上げているのは積雪対策のためだろう。
 訪ねた時は紫陽花や立葵があちこちに咲き、それが集落の印象の何割を占めるかのようであった。








わずかな平地部分にはうだつを持つ家屋も見られる




訪問日:2021.06.26 TOP 町並INDEX