武蔵五日市の郷愁風景

東京都五日市町<商業町> 地図 <あきる野市>
 
町並度 3 非俗化度 7− 炭問屋が集積しまた街道の往来で栄えた町−






五日市の町並 わずかではあるが伝統的な商家の建物が残っている


 多摩西部では檜原村に源を発する秋川と、奥多摩町にその現流域のある多摩川沿いが交通・交易の幹線であり、両者は八王子市と昭島市の境辺りで合流し多摩川本流となり東京都の南端で海に注いでいる。
 五日市の町は秋川が山峡地帯から開放され平野部に出る位置に形成された谷口集落で、このような集落は交易上非常に重要な位置を占めていたところが多い。
 中世末期から定期市が開かれていたが、江戸時代になるとその頻度・規模ともに急激に大きくなった。秋川上流域に良質で広大な森林を持つこの地域は古くから炭の生産が盛んで、江戸の炭需要の過半をこの地区が担っていた。いつしか秋川流域の炭を独占するに至った五日市の炭問屋は大きく発展し、江戸に炭を運ぶ道も五日市街道と呼ばれるようにもなった。幕末ともなると周囲の山々を大規模に買収して大地主となる富裕層も出現している。
 五日市線の武蔵五日市駅は近代的なつくりで大都市郊外らしいものである。昭和初期に拝島とを結んだ五日市鉄道が前身で、現在は都心まで1時間余で到達することのできる地だ。そこから展開する町の風景も今ひとつ個性に乏しいものであったが、所々に切妻商家建築、簡素な建物であるが前面にRC製の胸壁を立ち上げた看板建築などが散見され始める。商家群の名残だろう。秋川左岸の段丘上のやや高い位置に旧市街地が開けており、わずかな起伏はあるが平坦な土地の上に恵まれた町場が形成されていたことが伺える。
 市街中心から西に出外れても厳かな民家が幾棟か見られるのが印象的な戸倉地区がある。一角には豪農を思わせる厳かな邸宅が、土蔵を従えて残っていた。
 
 




五日市の町並 戸倉の町並




戸倉の町並

訪問日:2012.05.27 TOP 町並INDEX