大畑の郷愁風景

青森県大畑町【港町】 地図 <むつ市>
 町並度 4 非俗化度 7 −下北半島津軽海峡側の中心−




重厚な商家建築や古い旅館の残る大畑の町並


 下北半島の北岸、津軽海峡に面する大畑の町。恐山の北側の入口となっており、また大畑川に沿っては素朴な温泉旅館が展開する薬研温泉がある。
 半島の中では比較的平地に恵まれており、中世末期には早くも町場が形成された。慶長年間頃までに本町・南町が、元禄5(1692)年に湊町、次いで新町、東町と町立てされた。川の河口付近ということで近隣の物資が集まりやすかったこともあり、2が付く日に市が開かれていた。
 大畑湊は良質の檜を積出す港として繁栄し、北前船も立寄った。享保6(1721)年には70隻の船舶の出入りが記録され、田名部七港のひとつとして数えられた。元文3(1738)年の記録では湊村に5名の廻船問屋の名が挙げられている。また江戸や飛騨などから材木商の出店もあったという。
 政治・軍事的にも重要な場所となり、大畑代官所が置かれた。江戸後期になると蝦夷地支配との関連で北方警備の拠点として位置づけられ、代官所は北浦番所と改められた。さらに台場が置かれ、大砲15門が設置された。
 
 市街地は河口付近の平野部に展開を見せる。下北半島の他の町に比べると広々とした町の印象を受ける。伝統的な建物が連続する箇所は無いものの、木造の古びた旅館や商家の建物が所々に残り、かつての賑わいを偲ばせる。また看板建築や銭湯建築といった昭和レトロ的要素も濃く、古い町並というにはやや純度が低いきらいもあるが興味深い探訪であった。
 明治以降も製鉄業やイカを中心とした漁業も振興した大畑の町だが、軍港が置かれた大湊や田名部に半島の中心が移った。昭和14年に開通した国鉄大畑線も廃線となり、全体的にやや寂れた雰囲気が漂っているようだ。
 


市街中心には看板建築の連なる風景もあった




この建物は銭湯(廃業されている様子)
 
訪問日:2018.04.30 TOP 町並INDEX