睦月島の郷愁風景

愛媛県中島町<農村集落・港町> 地図 <松山市>
 
町並度 5 非俗化度 9 −行商と農業で栄えた島−





睦月島の路地風景



 睦月島は周防大島から始まる防予諸島の東端近く(愛媛県側は忽那諸島とも呼ばれる)、中島の東に抱かれるような位置にある。とも呼ばれている。古くは無月、無津木などとも記された。島の南側に小さな入江と平地があり、家々はそこに集中している。
 忽那諸島の島々の多くは江戸期松山藩領に属していたが、睦月島は怒和島とならび大洲藩領であった。諸島の中では最も農村集落的性格が濃く、船着場辺りにも目立った漁港が見られず蜜柑農業が主体の島となっている。明治期の発刊と思われる「風早郡地誌」によると戸数211に対して漁業は14、漁船も9と少なく、多くは農家であった。
 明治頃から昭和戦前まで行商が盛んになり主要産業となる。主な商品は反物(伊予絣)で、島内で生産されるものもあったが三津浜港から仕入れるなどして取扱量を増やし、販路も全国に及んだ。
 海岸線に平行なやや広い街路から無数の路地が派生し、その点では漁村集落にも共通するものがあるが、集落の景観としてはやはり農村集落的なものであった。豪農を思わせるような長屋門を持つ敷地の広い邸宅も幾つか見られ、これは農業というより行商で富を築いた家なのだろうか。 
 港に近いところには商店が幾つか見られ、かつての賑わいを感じさせるが、食堂、旅館などの看板は見られるが廃業されて久しい姿もあり、比較的装いも新しい小学校も廃校になっているなど、離島集落の例に漏れず人口減少が進んでいるようであった。
 









集落東部の海岸部には間口の広い町家風の建物も見られる


訪問日:2016.08.11 TOP 町並INDEX