長門吉田の郷愁風景

山口県下関市<宿場町> 地図 
 町並度 4 非俗化度 8  −忘れられたように残る山陽道の本宿−
 


 下関市の東部にある吉田地区は、今では山沿いの寒村ともいうべき小さな集落となっているが、赤間関(下関)から見て最初の本宿が置かれたところであり、地域の中心的役割を担っていた町であった。
吉田の町並




 吉田の町並

吉田の町並





 吉田の町並  吉田の町並
 



 
現在、すぐそばを中国自動車道が通り、往来する車輌はこの宿場の存在に全く気付くこともなく通過するばかりである。世代交代は歴然で、今宿場街を歩いても、旅人はもちろんのこと地元の方の姿すら疎らだ。
 吉田は山陽道と萩街道(赤間関街道)の追分の宿であった。集落の東部には追分を示す道標が残り、その辺りに高札場もあった。近くには木屋川が流下しており、川運によって上流の産物がここに集積され、商業も興った。
 毛利藩の支配地にあって、藩の公館である「御茶屋」や、代官所である「勘場」などが置かれたが、明治後期に大規模な大火があり、残念ながら古い建物は多くは残っていない。
 追分付近を中心としてT字型に展開する町並は、漆喰を塗られた伝統的な町家形式の家屋が、新しい建物に混じって残っている。街路の北側では奥行18間(約35m)、南側15間(30m)とし、間口幅も定められた計画的な地割は、歩いていても面影が感じられるが、所々古い家々が解体されて空地となっているのは、時代の流れとは言え寂しい眺めである。
 街路の両端には幅1mほどの細い水路があり、かつては旅人が草鞋を脱ぎ、ここで足を洗ってから旅籠に上ったのだそうである。
 


訪問日:2003.12.28 TOP 町並INDEX