那古野の郷愁風景

名古屋市西区<城下町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 6  −都心に奇跡的に残った城下の商人街−





 この一角は名古屋駅から歩いてわずか10分余りのところにある。駅前から延びる大通りを歩いていても、この町並が出現しようとは想像しがたいものである。大城下町名古屋の面影は、戦災や都市化によりほとんど姿を消したが、町人町であったこの那古野町の一帯だけは例外で、奇跡と言える。
この町を代表する町並景観 四間道(しけみち)の土蔵群




小路が入組み 多くの四つ辻が下町的な風情を漂わせている




この地方独特の屋根神様 疫病や火災から身を守る庶民の信仰の現れだ 堀川にかかる五条橋 この川は城下町時代に水運に利用され、今でも橋のたもとに荷揚げ場が残る★


 この地区の北を流れる堀川は、慶長15年(1610)に名古屋城築城の物資を運ぶため、福島正則の指揮によって開削された人工の川である。元禄13年(1700)の大火後、防火を目的に川の西岸の道が四間(約7m)に広げられ、その東の土地を高くしその部分に土蔵を連ねた。ここは町人町として整備された地区であったが、この堀川の水運を利用して商業が栄えた。土蔵の数は最盛期には一千を数えるとも言われた。今でも四間道と呼ばれるこの通りには、その土蔵の一部と、格子を仕立てた古い町屋が残っており、古い町並の景観を形作っている。一方に土蔵、他方に町家というこの四間道の町並は、既に元文年間(18世紀半ば)には形成されていたといわれる。
 郷愁を誘う町並風景は名古屋市の町並保存地区に指定されているこの四間道だけではない。小路に入ると車の通過するも困難な細い小路が入組み、一見して近年開発された町でないことがわかる。木造二階板張りの渋い家々が並び、屋根神が祭られる姿も眼につく。これは津島神社・秋葉神社・熱田神宮を祭ったものといわれ、濃尾平野一帯でしか見られない独特のものである。この屋根神の見える町の風景は、いかにも庶民の生活を垣間見ているようで落着いた雰囲気が漂う。あるところは人がやっと通れる幅となり、また他では袋小路となるこの路地風景は下町情緒が溢れており、都会の中の異次元空間のようなイメージを抱かせる。
 この界隈は近在の方でも余り知られていないのではないだろうか。散策する人の姿も皆無で、地元の方が世間話をする姿が余りにも自然である。町家などは確かに修繕の手が加えられているものの、土産物屋はおろか、外来者に対応する設備はほとんどなかった。
  




那古野一丁目の町並


 ★印:2003年5月撮影(その他は2008年3月撮影)

訪問日:2003.05.03
(2008.03.23再取材)
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