奈半利の郷愁風景

高知県奈半利町【在郷町・街道町】 地図
 
町並度 6 非俗化度 7  −木材の集散地 街道の追分として賑った−



 奈半利町は県東部の太平洋岸、室戸岬で海に没する脊梁の山々から流れ下る奈半利川河口付近に開ける町である。最近になって土讃本線の後免駅を起点とする土佐くろしお鉄道が開通し、ここが終点となっている。
奈半利の町並 土佐東街道に面する江戸末期建築の西尾家








 
 

 中世には城が構えられ、城下の邸数は安芸に次ぐ数を誇っていたという。付近一帯では中心地的な町であり、浦分とよばれた海岸沿いの集落は外港として機能していた。しかし奈半利川は多雨地帯を源流としており氾濫することも多く、また入江を持たぬ海岸線は津波や高潮の被害に遭うことも多かった。
 ここに町が構えられたのは良質の木材が奈半利川を介して集結するところだったからで、それらは薪材として各地に積出されていた。保佐薪と呼ばれ浦分では廻船業が栄えたが、江戸初期には早くも衰退した。それは濫伐によって資源が涸渇したのと、取引先の上方の商人に安く買い叩かれる傾向が強まった事の他、港として適さぬ海岸構造だったことも大きかっただろう。江戸も後期に入った寛政の頃には、奈半利浦の戸数は最盛期の4分の1にまでに減じていた。
 しかし奈半利の町には伝統的な家々がある程度まとまり、古い町並として残っている。町の中心を横切る国道の両側に広がりを持って展開する。その姿も様々で、平入り切妻の姿を原則としながらも、敷地の広い邸宅型のものも見られ、また土蔵に水切瓦がはめ込まれた姿が目立つのは、土佐の古い町らしさを感じさせる。
 これらの姿は街道の要衝として、在郷町として栄えた姿なのだろう。室戸岬を迂回することが障害となる東土佐の陸上交通のバイパスとして、山越えの野根山街道が東岸の野根(現東洋町)とを結んでおり、海岸沿いの土佐東街道との分岐点でもあった。両街道とも地方の小街道ではあったが参勤交代にも利用された記録があり、また近隣の物資交流、そして土佐藩士の脱藩の道ともなった。国道の一本北側、直線的に連なる家並は商店街ともなっているが、旧土佐東街道に違いない。西尾家をはじめ江戸期に遡るような家屋も残っており、西に歩を進めると野根山街道との追分に突当たる。ここに高札があったとの標識があった。この界隈を中心に、街道沿いの物資が集い、また零細ながらも木材の集散地として賑っていたのだろう。
 この街道筋の北側、そして国道を挟んで南側にも伝統的な家々が多数残る。歯抜け状になっている箇所が多いのが少し残念ではあるが、質的には高く、古い町並として十分な体裁が今に残されている。
 町は登録有形文化財制度を活用して、古い町並を保とうと努力をされているようだ。
 






訪問日:2007.08.15 TOP 町並INDEX