大門界隈の郷愁風景

名古屋市中村区<花街> 地図
 
町並度 4 非俗化度 5 −東洋一とも称された花街−





寿町の町並 大柄なもと妓楼の建物が幾つか残っていた




 
 名古屋駅の西側は城下町として形成された東側より後に町が開発されたところで、碁盤目状に近い整然とした区割となっている。その中にあってこの大門町付近の街区は周囲とは異なる形態を示しており、地図を見てもその特徴がよくわかる。四辺に斜め方向に放射するような街路を持ち、その中央に南北5、東西2の街区を持つ。
 駅の東側に分散していた遊郭を大正12年に移転させ営業を開始したのがこの町の始まりで、その後も遊興の町として拡大、昭和12年には2000人もの娼妓を抱え東洋一とも称されるほど発展していた。
 大門の他羽衣・寿・賑などと遊興街らしい町名が付され、現在も踏襲されている。中でも日吉町や寿町などの北部が最も格式が高く、大柄な妓楼も多かったという。
 その北側から旧花街地区に入ると、幾つかの特徴ある建物が見え始める。しかし、多くは本来の目的としては役割を終えているようだ。
或るものは高齢者の福祉施設に転身しており、他のものは蕎麦屋として再利用されていた。しかもこのように建物が形をとどめている例は急速に減っているようだ。
 町の成立ちから興味を持つ人も多いようで、個人サイトなどでも探訪例が多くよく紹介されるところだが、必ずと言ってよいほど紹介されている最も象徴的な建物を探すも見当たらない。再度位置を確認するとどうも更地になっているようだ。
 この旧中村遊郭の町並は以前より訪ねたいと思っていたが後回しになったことが悔やまれるところだ。わずかに残った痕跡も保存の対象とはならないだろうから、町の歴史を物語る建物は早晩消滅することになるだろう。
 花街の名残を求めるという視点では既にやや残念な状況となっているが、町家風の建物や昭和的な飲食店街なども残っており、非戦災地区や繁華街として歩けばなかなか面白いところといえる。
 
名楽町三丁目の町並


賑町の町並 街区の南西端で斜めに伸びる道となる




大門町の町並 この建物は蕎麦屋として利用されていた 賑町の町並



訪問日:2019.05.25 TOP 町並INDEX