中新田の郷愁風景

宮城県中新田町<商業町・街道集落> 地図 <加美町>
町並度 4 非俗化度 8 −陸運・川運の拠点として商業が集積 酒どころでもある−






店蔵・土蔵が見られる中新田の町並

 

 県中央部やや北寄り、鳴瀬川沿いの平野部に市街地が開ける中新田の町。中世には中新田城も存在し、大名大崎氏の勢力下にあった。しかし天正16(1588)年、内紛に乗じた伊達氏の侵攻に屈し、同18年からは伊達家の所領となった。
 江戸期には川運と街道の要衝にあって商業が発達した。鳴瀬川は中世より大崎領の物流大動脈で、また一帯は肥沃な穀倉地帯であり、中新田には御本穀御蔵が置かれて米が集積された。それらは鳴瀬川を高瀬船を用いて下り河口の野蒜に運ばれた。また羽州に向う二つの街道がここで交差しており、陸上交通の要地であった。
 ただ明治以降鉄道交通が台頭し始めると、状況に変化が生じた。東北本線は中新田を離れて通り、また大正2年陸羽東線が敷設され中新田駅
(現在の西古川駅)が設置されたが、町の中心からは外れていた。そこで中心部まで軽便鉄道が敷かれ、軌道は昭和7年には仙台にまで延長され、交通の利便が増した。しかし長くは続かず、昭和25年に仙台-中新田間、同35年には残りの区間も廃線となり役割を終えた。
 現在も二本の国道が交差するところで交通の要地に変わりない。国道457号と鳴瀬川の間に古い市街地が開け、南北の街路沿いに展開する。現在はそのまま商店街となっており、しかもブロック調の舗装が施されるなど、人工的な色の濃い町並景観となっている。 その中にあって店蔵や商家風の造りの店舗が散見される。よく見ると、通り側が一面看板に覆われているような建物でもその多くは古い建物であり、かつては立派な古い町並が展開していただろうことが想像できる。また西側の一本裏手の通りには造り酒屋があり、立派な酒蔵や石蔵などが建ち並ぶさまはこの町の印象の何割かを占めるものであった。








 

西側の小路沿いに展開する造り酒屋の風景


訪問日:2012.07.18 TOP 町並INDEX