中関の郷愁風景

山口県防府市<港町> 地図
 
町並度 3 非俗化度 9 −塩田を背景に発達した港町−
  









中関の町並
 

 防府市街地の南西部、海岸近くの平地と小高い丘との交錯するあたりに中関地区がある。
 地名の由来は、西に赤間関(下関)、東に上関という海上交通の要所の中間に位置し、またその繁栄にあやかろうと江戸中期の明和年間に中関と名付けられたという。
 近くには萩藩の港町三田尻があり、港湾の機能の主体ではなかったものの、廻船業も盛んに行われた。この港の発達の背景には製塩業があり、7代藩主であった
毛利重就は塩の積出港として中関を整備しようと計画した。その甲斐あって港は発展し、芝居小屋などもあり賑わったという。
 明治以降も塩田を背景として港の繁栄は続き、西泊と向島には製塩工場も置かれ、中関港には大型船舶の入港も少なくなかった。
 現在の中関地区の位置は、市街地の南西端にあって通過点にもならないようなところだ。東側には住宅地に混じって航空自衛隊の敷地、そして工業地帯が展開する。この付近がかつて塩田として開発された一帯なのだろう。
 田島山という小高い丘の東麓に港町の町並が形成されていただろうことが町並を歩くと判る。しかし下関・上関と比較するとその歴史性・重要性が淡いものであったとはいえ、古い町並としての規模や残存度は比べるべくもない。しかしそれでも一部には風情を漂わせる一角もあり、わずかながらも歴史の古い町であることを伝えていた。
 

訪問日:2017.03.19 TOP 町並INDEX