滑川の郷愁風景

富山県滑川市【宿場町・商業町】 地図 
 町並度 5 非俗化度 8  −北国街道の宿駅 売薬業でも栄えた−




 吾妻の町並 中町の町並




 荒町の町並 大町付近 かつての船着場を思わせる




瀬羽町の町並 加島町の町並



加島町の町並
 

 
滑川市は富山市の北東に接し、富山湾に面する町である。蛍烏賊でも名が知られている。
 海岸に沿い旧北国街道が県道としてそのまま街道筋を踏襲している。滑川には加賀藩により宿駅が整備された。同藩主の休泊地として賑わい、大町には御旅屋(本陣)や問屋場が設けられた。東側の神明町付近には藩蔵が置かれ、蔵宿と呼ばれる家々が多くあったという。それらは穀倉地帯を後背地に持つこの地域、年貢を収納する蔵として機能していた。
 街道筋の古い町並は神明町付近より西に荒町・大町、さらに川を挟んで西側に加島町付近まで連なる長いものだ。切妻・平入の建物が軒を接する都市型のたたずまいで、伝統的な町家は出桁造り、真壁の袖壁、木製の軒庇など典型的な北陸地方の町家の外観をしめしている。家々全体に占めるそれらの占める割合はそれほど高いものではない。しかし家並の連続性が高いことで、古い町並らしい見映えのする風景が展開する。
 中川という小さな川と街道が接する辺りを橋場という。年貢米などが積出されたところで川畔が掘り込まれ、船着場が整備されていた様子がわかる。付近は町家のほか、洋風建築の病院など古くはここが町の中心であったことが推測できる。旅人だけでなく近隣の村民もここに来て日用品などを求めていったという。
 産業としては漁業の他、江戸末期からは売薬業が急速に発達し町の基幹産業となった。嘉永6(1853)年には帳主30人、行商人148人との記録がある。滑川の薬商は原薬を富山などから仕入れ、家内で調合して商品化したものを全国に売り歩いたものである。これは明治以降も法人化されるなどして続き、昭和初期には生産額が県下の2割に達するまでに成長している。現在見る伝統的な家屋は、旅籠などの宿駅に由来するものよりも薬商を中心とした商家が多くを占めるものと思われる。
 個の建物の本格的な保存活動は行われていないようであったが、市は「宿場回廊」と題して旧街道沿いの見所を標識や看板で案内し、訪れる者を受入れる態勢を整えていた。
 
 


訪問日:2008.06.07 TOP 町並INDEX