七尾の郷愁風景

石川県七尾市【城下町・港町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 6 −城下町を基盤に能登半島最大の商業都市に発展−




一本杉町の町並


 
七尾市は能登半島を代表する町で、中世には荘園がおかれ、その頃から能登国の中心として機能していた。
 15世紀に畠山氏により七尾城が築城されている。別名松尾(末尾)城とも呼ばれた。これは城山を構成する七つの尾根の末端に築かれたことによる。またこの七つの尾根が市名の由来ともなっている。
 上杉氏・前田氏と城主が変遷し、前田氏の時に城下町が形成され現在の町の基礎となった。天正9(1581)年に入部した前田利家は城を現在の市街地に近い小丸山に移したうえで寺院の移転を行い、町割を整備し代官や町役人を配備した。その後一国一城令の施行に伴い城は廃されたが、城下町はそのまま引継がれた。
 江戸期も中盤以降となると商業活動が盛んになり町は大きく発展した。その最も大きな要因は北前船などの海運業の発達により物資の流通量が急増したことによる。積出される主な荷は米や干鰯、酒などであり、また材木や生蝋、鉄、綿などを積んだ船が入港した。また四十物
(あいもの)と呼ばれる魚介類の生干しが特産品で、各地に珍重された。19世紀前半の文化年間の記録では1000軒を超える商店があり、その業種も海運業を筆頭に米商・四十物商・金物商など67種類にも及んでいた。
 明治以降は北前船に変わり国際航路も開設、能登の中心都市としての地位を揺るぎなきものとした。
 古い町並としては七尾駅の北側一帯に残り、一本杉町界隈を中心として切妻の建物が更新されながらも随所に残る。この一本杉通りが古くからの市街のメインストリートで、伝統的な看板を掲げた商店も多い。この周囲にも、遠ざかるにつれ伝統的建物の比率は淡くなるものの、町家建築が散見される。
 なお訪ねたとき、青柏祭という祭事の期間中で、一本杉通りには巨大な山車が待機していて、迫力に圧倒された。それが通りを動き出して町並の取材に影響が出なくて良かったとも思った早朝の探訪であった。
 





一本杉町の町並 阿良町の町並




阿良町の町並

訪問日:2013.05.04 TOP 町並INDEX