直江津の郷愁風景

新潟県上越市【港町】 地図
町並度 4 非俗化度 8 −高田城下の外港・西廻航路の寄港地として発展−
 


 


中央四丁目の町並 小規模ながら商家らしい建物が残る 一部の家屋に雁木も見られる




中央五丁目の町並




中央三丁目 「回漕店」の文字の残る古い洋風建築が見られた 中央五丁目の町並 

 

 直江津は北陸経由の夜行列車などで何度も通り、またここから信州方面に向うのに乗換えたことも数回あったが、今回初めてこの町を歩いてみた。信越本線と北陸本線の分岐駅であり、また古くからの重要な港町である。本格的な発展は日本海の西廻り航路が運用されはじめてからだが、それ以前にも河口に位置することもあって諸国の船が出入りし、市街地が形成されていたという。鎌倉期には既に日本海岸の七湊の一つとされ、戦国期には米や塩鮭などの特産品を京坂地方や九州などと交易するなど商港として保護されていた。
 江戸時代の直江津は今町と呼ばれていた。海岸近くの砂丘の上に開けていた古くからの直江町に対し、その内側に拡大して出来た新しい町という意味で、この今町が町の中心となっていた。
 近くに城下町高田を控えていたこともあり物資の出入りは盛んで、城下の外港として塩や米、魚介類、鉄などが陸揚げされ、塩は高田の塩問屋で信州方面に売り捌かれていった。代りに後背地の山地での煙草や大豆、油粕などが移出されていった。当初は廻船業・川船業以外は高田藩からの保護はなかったが、後には直江津の商人も権力を得て、高田商人と争ったりした。それ以後一部の商取引も許可されるようになり、直江津は商業都市としても発展することになった。
 駅前から北へ500mほど、河口近くが古くからの町の中心地区である。伝統的な建物が連続した箇所は少ないものの、平入りの木質感の感じられる家並が残り、一部では木製の雁木が連なる箇所もある。また銅板に葺かれた建物もあった。この町は明治期に度重なる大火に遭っており、古いものでも明治末期以降の建物であろう。海岸部は砂丘地帯で海に向って逆に緩やかな登り勾配となっている。
 海岸近くの通りでは、「回漕店」の看板のかかる洋風の建物があり、この町の歴史を物語っていた。
 明治後半には信越本線、次いで北陸本線が開通し、鉄道の要衝として新たな発展を見た。港は動力となる石炭が大量に陸揚げされ、また駅前は旅館街となった。遊郭も設けられ芝居小屋もできるなど、直江津は繁華な町となった。
 現在は北越急行の開通や北陸新幹線が長野まで開通したことの影響で、ターミナル駅としての重要度がやや薄らいでいる。現代になって開発された商店街もやや活気がなく、地方都市共通の問題を抱えているようであった。
 
 


訪問日:2007.05.05 TOP 町並INDEX