直島の郷愁風景

香川県直島町<港町> 地図
町並度 5 非俗化度 3 −廻船業が盛んだった瀬戸内の島−
 


 直島は瀬戸内に浮ぶ島で、岡山県宇野港のすぐ目の前にある。しかしこの海域は香川県が本州近くまで県域を張出しており、この直島も香川県に属す。
 宇野より船で向うと、島の北部はほとんど樹木の無い岩山となっているのが痛々しい。大正期からここには精錬所ができ、その排煙で木が枯れたのであろう。現在でも精錬所やその関連企業に勤める住民が多く、過疎化も起っていない。
 
本村の町並




本村の町並 本村の町並




本村の町並 本村の町並




宮ノ浦の町並 宮ノ浦の町並
 

 島内では町役場のある東岸の本村地区と、フェリーの発着する西岸の宮ノ浦地区が主な集落である。山がちの地形であるが両集落間は比較的平坦で、ほぼ中間に小中学校がある。
 余り知名度も高くない小さな島であるが、近世には廻船業が栄え、延宝期(17世紀後半)には既に19隻もの廻船を保有していたのである。西廻り航路を経て日本海方面にも出向き、また一部の船は幕府に直接雇われ、或いは大坂商人との共有船となり、御城米などの輸送を行った。但し多くは他国籍の廻船に雇われとして従事する例が多かったようである。一例を示すと、大坂商人に雇われていた堺屋平蔵は、温泉津(現島根県)や出羽酒田、陸奥野辺路(現青森県野辺地町)、さらに松前方面と交易している。御城米のほか大和などでさかんだった木綿製品、瀬戸内の塩などとニシン粕との商取引にも借り出された。
 また、鯛など近海漁業も行われ、それらも大坂などに売られている。この辺りは降水量の少ない瀬戸内地区でも最も雨に恵まれない地域で、農業は振るわなかったようで、専ら島民の生活は廻船業と漁業に頼るものとなっていた。延享3(1746)の「奉願一札之事」に「当島之儀、夏秋之出来作ニ而漸半年之飯料ならてハ無御座候ニ付、村方七分通ハ廻船働仕、妻子ヲ育、其余力ヲ以御年貢并横役当迄打立候」とあるのは、この島の当時の産業環境をよく表している。
 往時の姿をよりよく留めるのは本村集落の方である。長屋門を構えた一見武家を思わせる屋敷や、板張りの家屋が並ぶ路地が残っており、単なる漁村ではなかったことを感じさせてくれる。この町では、ある企業グループの投資により、集落内の古い家屋を改修し、町並自体をアートの場と見立てた活動を展開している。古い町並を訪ねる立場の私にとってはある意味危惧を抱かせるような取組だが、改変の度合は心配するほどでもなく、素材を活かし、またさらに良さを引き出すような工夫が感じられ、好感を持った。またこの取組を知ってか、若い人が町並探訪をしている光景も見られた。一見すると民間資本が入っているとは思えない、そのままの集落である。各家には屋号を示した小さな表札が取付けられている。それらを見ていると、この町の華やかりし頃を想起させてくれる。
 私は本村地区をメインに訪ねるために、宇野港から数少ない直行便を利用して上陸したが、島内には町営バスが頻繁に運行されていて、探訪者に優しい島であった。便数の多い宮浦港を利用するのが便利である。
 
 
 
訪問日:2006.01.02 TOP 町並INDEX