奈良井宿の郷愁風景

長野県楢川村<宿場町> 地図 <塩尻市>
 町並度 10 非俗化度 3  −中山道木曽路を代表する宿場町−




宿場の中心・中町の町並
 

 中山道は現塩尻市南部の本山宿を経て、山深い木曾路に分け入る。その中でも最も標高が高い難所であった鳥居峠を控え、この奈良井宿は存在した。峠下の宿であることからも大変な繁栄を示し、奈良井千軒と呼ばれるほどの賑わいようであったという。いわゆる木曾路と呼ばれた区間の中では家数・人口とも最も多い町場だったのである。
 しかし一方奈良井には旅籠は他の宿場に比べて少なく、塗師の家や商いをする町家などが多くを占めていた。町の全てが宿駅として機能していたのではなく、半ば商工業の町として機能していたという。天保9(1838)年の『木曾巡行記』では、「宿内、出郷平沢は、往古より檜物、がらく細工、塗物等職業にいたし、先年はそれぞれ利得有之故土着の人数も相増凡三千人余も有之夫々渡世せし也」と記され、この一帯で盛んであった漆器業を基盤に町が拡大していたことが伺える。少し遡って享保9(1724)の史料では、宿内219戸のうち旅籠は33戸、商人7戸、その他の多くは塗物師や檜物師であった。
 このような繁栄の町場が国道から外れたことで、今でもほぼ往時のままといえる古い町並が残り、またその規模も大きい。重要伝統的建造物群保存地区として旧家の保存、電柱の撤去等が行われてからは宿場時代の姿を逆に取戻したともいえよう。
 町並は奈良井駅付近から南に約2kmに渡って連なり、下町・中町・上町と呼ばれる。下町は主として漆器職人が居を構えた地区らしく、小規模な町家が緩やかにカーブし、また緩い上り坂に従い密集している。出梁造りというこの地方特有の建て方のため2階部分が街路に覆い被さるような印象を受ける迫力の町並風景である。また、中町に入ると間口の広い裕福そうな家々が目立つようになり、牛馬の手配をしていた下問屋・上問屋の建物も残り、街路幅も下町に比べ広いことから町の中心を感じさせる。直角に二度街路が曲る鍵の手を経た上町も端正な町家群が連なる。鳥居峠を控えたこの辺り、水場もあちこちに設けられ険しい山道を越えてきた旅人は、喉を潤し一憩したことだろう。
 保存度・規模ともに全国屈指の町並といえるこの奈良井宿であるが、現在の町の姿は観光地的ではない。団体客の姿は見られずせいぜい少人数の散策客が見られる程度である。大きく俗化することなく町並の質が保たれている点について、ここは全国一の成功例であろう。




下町は街路が狭く、間口が狭い町家が連なります。  中町の緩やかな曲線を描く旧街道。右側中央に牛馬を手配していた元下問屋の建物(現・民宿伊勢屋)が見えます。



 奈良井の民家の特徴の一つに猿頭がある。これは軒庇を2階部分から吊る構造にした独特なもので(左の写真参照)、盗人がよじ登るとずり落ちるわざと脆弱なつくりにしていると聞く。その他木曾路一般に見られる出梁造りの他、北陸地方などと外見が共通する形の袖卯建、中には跳ね上げ式の蔀戸を備えた家もあった。これらは木材の豊富な木曾の特性と、漆器業をはじめとした産業の繁栄の産物だろう。町家の表情も一軒一軒異なり、それらの表情を細見することによって、より興味深い探訪となる。
 
上町の町並 正面は櫛問屋であった中村邸。





※画像は全て2004年5月最終訪問時のものです。
訪問日:1992.11.03
(2004.05再取材)
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