新勝寺門前の郷愁風景

千葉県成田市【門前町】 地図 
 
町並度  6 非俗化度 2  −伝統的建造物の並ぶ新勝寺の門前町−



門前の町並で最も際立つ木造三階建の大野屋旅館


 成田は利根川の南に広がる下総台地上に町が開け、坂の多い町である。新東京国際空港(通称成田空港)のある町として知られるところが多く、海外からの客の何割かはまずこの地を踏む。しかし多くは東京都心へ直行してしまい、成田の町を歩いても、外国人客が多いというわけではない。
 しかし空港についてまず足下のこの町を歩くというのも非常に価値があると、私は新勝寺とその門前町を歩いてその思いを深くした。まず最初に触れられる強烈な異文化だ。
 成田駅前は地方都市の平凡な風景だが、北に向い新勝寺の参道に入っていくと、参詣客相手の店舗が所々に現れてきて、徐々にその密度が増していく。特に駅前から続く、車の通行の頻繁な通りから分かれ、緩い下り坂になるあたりからは門前町の風情が急激に増してくる。土産物屋に並べられるものも漬物や川魚の佃煮、煎餅など素朴なものばかりなのがよい。そしてそれらの構えが、創業百年以上といわれる老舗で多くが占められ、しかも近代的に改装されている度合が極めて低い。台地の端を下っていく坂道、そして穏やかに曲線を描きながら門前町が続き、やがて前方の小高い位置に新勝寺の本堂屋根が見えてくる。その町並展開がさらに風情を高めている。
 中でも新勝寺に近づいた位置にある木造三階建ての大野屋旅館はこの町並を代表する
古い建物だ。古いといっても昭和12年に竣工したもので、古い町並にとってはむしろ新しい部類に入れなくてはいけないが、屋根の上に望楼を従えたその姿は、ここが歴史の深い大門前町であることを証明しているようでもある。
 新勝寺は成田山の開山(天慶3・940年)により始まり、東国鎮護の寺院として位置づけられてきた。その後江戸の頃から門前町が発達し、庶民の間でも成田詣が習俗化した。周囲の街道は成田に向って伸び、旅籠を営むものも多かったという。船橋・佐倉方面から成田を通り佐原に向う街道も、この頃佐原道から成田道へと改称されている。
 新勝寺への参詣客の増加は、歌舞伎の市川団十郎の成田信仰によるところがあるともいわれ、代々江戸で「成田不動霊験記」を上演し名を広めたという。
 明治に入っても東京-佐倉間をつないでいた総武鉄道に接続して成田鉄道が30年に開通し、さらに我孫子や佐原方面にも路線を伸ばして多くの参詣客が訪れた。今でも人々の訪れは絶えることなく、特に正月の初詣客の数は全国でも三指に入るほどの盛況を示している。
 門前町の町並としては規模・質とともに全国屈指で、重要伝統的建造物群保存地区として取組む価値も残されている町並である。
 




新勝寺本堂と三重塔 門前の町並(仲町)




門前の町並(仲町)




門前の町並(上町) 門前の町並(仲町)

訪問日:2006.11.04 TOP 町並INDEX