成羽の郷愁風景

岡山県成羽町<陣屋町> 地図 <高梁市>
 
町並度 5 非俗化度 8  −成羽川の川港でもあった町−








 旧陣屋町であった成羽川南岸の町並 こちらは商港であった北岸。このような大規模な商家も残っています。
 

 高梁川の支流成羽川の流域にある成羽町は、城下町であり商港であった高梁の西10キロ余りのところにある。
 成羽町というと重伝建の吹屋が余りに有名であるが、この吹屋で産出された銅を積出したこの成羽の町も忘れてはならない。両者は20キロ余りも離れ、山また山の難路の連続の末この川港にようやくたどり着くのである。
 中世には成羽荘といわれたこの辺りは、江戸期に入り領主山崎豊治の支配する地となった。3万石と小大名であったが、成羽藩主となり明治維新まで統治し続けた。今でも国道の南側に山崎氏が居をかまえた「御殿場」の石垣が一部残り、面影を伝えている。背後には小高い山々を背負い、前面には成羽川を控えた要害の地であった。
 成羽川に面した町場は山崎氏の構築した陣屋町だったところである。現在国道313号線がかつての町の南縁をかすめて通過しているため、旧市街は大きく破壊されること無く残った。
 陣屋町の旧町人街は国道と成羽川に挟まれた約1kmの道筋に、ほぼ直線状に展開している。途中1箇所、遠見遮断を目的とした鍵曲がりが一箇所あり、防衛上の都市計画を感じさせる。この通りからは左右に小路が分派し、それらの辻の多くには常夜灯が設置されていたという。一部は今でも残り、金毘羅さんを祭ってある。
 町並としては連続性に欠けるが、それでも随所に古い建物が残り歴史を感じさせる。今に残るものは多くが商家であったらしく、桟瓦葺で入母屋造り2階建、一部につし2階も残り、一階部分は多くが改装されているが二階部の格子窓、虫籠窓はある程度現存していた。たった一軒であったが、大戸の残る旧家もあった。切妻も見られるが、多くは入母屋であった。藩の領政を司る「勘定所」であったとされる建物、宿屋なども現存しており、注意深く散策してみると濃厚に陣屋町の面影が伝わってくるものである。
 川に面した地区、そして橋を渡った向いの地区は川港として、問屋等も建ち並び賑やかだった所である。小高瀬と呼ばれた小型船によって運ばれた付近の農産物、薪炭、吹屋の銅などはここで高瀬舟に積替えられ、河口の玉島へと運ばれた。川向うの古町地区には豪商を思わせる旧家、土蔵などが多く見られた。川には今でも、手作りの木造船が繋がれている光景がみられ、雰囲気を出していた。
 ここは備中神楽の発祥地と言われる。暴風や疫病などをもたらす荒神の心を和らげようとして行われた祭が、秋祭りや正月に欠かせない伝統行事となったもので、今では備中地方一円に広がっている。
 




陣屋町はほぼ一本の街路に沿って連なっており、町並もほぼこれに沿って展開します。




訪問日:2003.04.12 TOP 町並INDEX