鳴門の郷愁風景

徳島県鳴門市<商業都市・産業町> 地図 
 
町並度 6 非俗化度 7  −四国の玄関口 製塩業で栄えた町−






撫養町南浜の町並


 
鳴門の町は畿内から四国への入口の町として古くから重要な地とされ、また吉野川流域の産物がここから積出されるなど深い歴史をはらんでいる。
 中世の文安4(1447)年に兵庫北関(神戸市)に入港した緒船の記録には、藍や小麦を搬送した当地の船の名が記されている。港湾として当時から重要な拠点となっていた他、産業、特に製塩業が江戸期以降のこの町の発展に大きく寄与した。
 慶長期に藩主に招じられ、播磨高砂から来た塩田技師により、入浜塩田が開かれたことがその端緒とされ、その後次第に増えて18世紀後半には塩方12ヶ村と呼ばれる組織を形成していた。製塩業は藩が直轄し、塩方代官という役が現場の指揮を執っていた。このような体制は藩内で他に藍と紙で組まれていて、重要な産業の一つであった。
 江戸末期には塩方代官にかわり板野郡代の管理下とされ、江戸や大坂をはじめとして藩外各地に販売されていた。よって多くの塩問屋がここに立地し、一大商業町が形成されたのである。
 当時の鳴門(旧撫養町)は藩から在郷町に指定され、商取引が自由に許されていたこともあり、多くの商家が建ちならんでいた。特に撫養街道に沿った斉田・南浜・林崎などがその中心であった。市街中心の繁華街を含むため一部途切れるものの、撫養川東岸の林崎地区は妙見山に突当たる付近から、西にJRの線路を跨いで北側の丘陵に沿い木津地区の東端付近まで、約3kmに渡って断続的に古い町並が見られる。切妻・平入りという一般的な姿の町家は、それほど連続した箇所は多くはないが、線的な広がりはかなりのもので、町場としての規模の大きさを感じさせてくれる。中二階のものもあれば総二階もあり、また袖壁の見られるもの、また近代うだつと呼ばれる本うだつに似たものを両妻部に従えたものもあり、繁栄の時期が長期にわたっていたことを示していた。西部では山裾に沿って緩やかな曲線を繰り返し、町並展開的にも面白い。
 渦潮や若布などが現在の鳴門からイメージされるところだろうが、製塩業を中心に商業都市として栄えた当時の残影が濃厚に感じられた訪問であった。




撫養町林崎の町並
 



撫養町斉田の町並



撫養町林崎の町並
 
 
訪問日:2007.03.25 TOP 町並INDEX