高島の郷愁風景

徳島県鳴門市【産業 地図 
町並度 4 非俗化度 7 −鳴門地区の製塩中心地−




塩田公園内に保存されている重文・福永家


 高島は鳴門市街地の北側に位置する島である。四国本土からは狭い小鳴門海峡を挟み、橋で陸続きになっているため島であるとの感触は淡い。
 この島は塩田によって発達を続けてきた歴史を持つ。西端部にある塩田公園には、塩田屋敷と呼ばれた福永家が主屋、土蔵、塩納屋などの建物を程度よく残し、重文に指定されている。17世紀後半の寛文年間にここに移り住んで以来製塩業を続けた家で、住居及び製塩設備がほぼ完全な形で残っているのは非常に珍しい。
 塩田の始まりは慶長3(1598)年に淡路国三原郡より数名が渡来し、撫養城主益田氏の許可を得、頭10人ほどを連れ来て塩造りをはじめ、集落も形成された。入海であり波の影響が少なかったことと、周辺の海域の塩分が高かったことなど塩田造成には適しており、塩田の規模、生産高ともに撫養塩浜12ヶ村中最も多かった。
 塩田の開発は明治4年には70町を超え、需要も急増してしばらく隆盛期となるが、戦後は入浜式塩田が廃れ、跡地は宅地開発がなされている。
 塩田公園より、本土からの橋に続くメインの道を跨いだ反対側に塩田時代から続く高島の集落がある。細い路地を辿ると、あちこちに伝統的な構えの建物が現れてくる。多くは本瓦を葺き、塀や門を持つものもある。製塩で裕福な家々だったのだろう。路地は無秩序に入組み、その点は漁村的であるが、建物は商家や豪農を思わせる。
 表通りから一見したところでは新しい住宅団地や商店が眼につき、古い集落だとは気付きにくい。古い建物も虫食い的に更新され、まとまって残っている状況ではない。しかしこの島の歴史を物語る貴重な生きた史料でもある。福永家だけでなく意識して残してほしいものである。
 








高島の町並 細い路地に製塩家の建物が散在する 

訪問日:2017.12.01 TOP 町並INDEX