根来の郷愁風景

和歌山県岩出町<門前町> 地図  <岩出市>
 
町並度 5 非俗化度 8 −根来寺の門前町−









根来の町並
 

 根来(ねごろ)は根来寺の門前町として古くから息づいていた集落である。
 根来寺は真言宗の寺院で高野山と密接な関係にあり、鎌倉期の後半に覚鑁(カクバン)一門が金剛峰寺の衆徒と激しく対立した後、高野山を降りてこの地に豊福寺・円明寺などの院家を建て、根来寺が成立した。
 その後根来衆といわれるほど当地の衆徒が有名となったのは、鉄砲をいち早く取り入れて強大な軍事力を誇ったからで、根来は1万人もの僧兵を抱える一大宗教・軍事都市となった。当時、寺院は今とは異なり強大な政治・軍事力の拠点ともなり得た施設であり、根来寺はその最たるものといえるだろう。武装勢力を保持したことで豊臣秀吉勢の標的にもなり、天正13(1585)年遂に敗北を余儀なくされ、大伽藍も灰燼に帰したという。
 江戸時代に入り紀伊藩主の援助を受け復興した後は、真言宗の一宗派である新義真言宗の総本山として再び頭角を現している。
 宗教のことについて詳述する知識もないので程々にするが、現在では考えられぬほど、この根来寺は圧倒的な存在感を示した寺院であったことは間違いない。近代以降も、寺を中心とした在郷商業町的性格を帯びて門前町が発達し、それは明治以降も続き、特産の山繭を中心に近傍の各地と商取引が行われていた記録がある。
 純粋な門前町としては中世までで、江戸期以降は在郷町として栄えていた程度ではあるが、参道に残る家々には格式が感じられる。入り母屋造りの旧家が多いからだろう。豪商というよりは豪農集落ともいうような敷地の広く、厳かな佇まいが連続していた。
 一部には海鼠壁の塀と長屋門を持つ邸宅も見られた。現在では地元の方以外の通行もなく、忘れられたような界隈であった。
 









訪問日:2011.08.14 TOP 町並INDEX