飫肥の郷愁風景

宮崎県日南市【武家町】 地図  
  
町並度 6 非俗化度 3
 −小藩ながら見事な武家街を今に残す町−


 日南市は港町油津と城下町飫肥(おび)に市街地が分かれており、それぞれ個性的な町並風景を有している。
 飫肥は武家町が残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定された一角もある。

飫肥の町並 前方に飫肥城の門が見える


 14世紀頃には既に飫肥城の名が見え、江戸期は一貫して伊東氏の居城として維新まで続いた。日向南部は諸県地区を中心に薩摩藩の支配下に置かれていたが、そんな中で頑なに飫肥藩として貫いている。
 石高わずか5万程度でありながら、城下町の構えは壮大だった。日向灘に注ぎ込む酒谷川という川が曲流を繰返す中で、その円弧の内側にあり小高い土地もあるこの地形を要塞そして外堀として利用している。その内側には城に近いところから高級家臣、中級家臣、商人町、中下級家臣と取り巻くように計画的に配置され、寺院も要所に置かれた。現在、国道の拡張によって商人町の部分は多くが元来の姿を失ってしまったが、武家町エリアはその姿を比較的残しており、風情を感じることができる。
 


 







 とりわけ保存地区となっている武家屋敷通りと称されたかつての高級家臣の住まうエリアでは、飫肥石と呼ばれる暖かい色合いの石垣を積み重ね、広い敷地に悠々と居を構えていた様子がうかがえる。小藩でありながら随分裕福さが感じられる武家街であるが、貧乏な藩であったことが逆に幸いし、飫肥杉の殖産を中心に産業を奨励し、それは良質の船材として非常に珍重された。和紙の生産も盛んに行われていた。商業町のエリアは、それらの産業により栄えた商家が建ち並んでいた区域だったのだろう。
 九州南部では古い町並として比較的知名度が高いものの、交通の便がよろしくないこともあってか観光客が大挙して押し寄せるという感じではない。静かな地方の武家町を、歩度を緩めてじっくりと味わうには絶好の町といえよう。
 






訪問日:2014.01.03 TOP 町並INDEX