沼垂の郷愁風景

新潟市中央区<港町・商業町> 地図
 町並度 4 非俗化度 6  −信濃川を挟んで新潟市街地の中心を形成−

         






沼垂東四丁目の町並 沼垂四ツ角付近は商店街となっている


 沼垂地区は信濃川右岸河口付近、新潟市街の東側を占めている。ぬったりと読む特徴的な地名は平安期には既に見られ、沼垂郷と呼ばれていた。江戸時代には新発田藩領に属した。藩の重要な港として発達し、年貢米が集積され多くの米が積み出された。新発田藩や支藩の沢海藩、村上藩や加賀藩の米蔵もあった。ただし、港としては寛永年間頃に阿賀野川河口が信濃川河口と合流する形になってからは土砂が堆積しやすくなり、また侵蝕により港の移転を余儀なくされるなどし衰退していった。しかし新発田藩の港としての位置は変らず、藩の蔵所が置かれ上町・中町・下町の三町構成で町が整備され発展した。明治以降は工業地として再び発達をみた。
 明治も後期になり鉄道が伸びてくると、当初は沼垂駅が終点であり、その後一旦信濃川沿いまで出た後南西に迂回した先に新潟駅が設置された。左岸側の古町地区と商業的な中心として双頭をなしていたが、戦後になると工業生産が振るわなくなったこともあり、それによって賑わっていた商店街などに活気が失われた。 
 地区の中心付近に沼垂四ツ角という交差点があり、このあたりにはアーケードが配され商店街が展開している。訪ねたのは金曜日であったが、営業されている店は少ないようであった。この周囲には面的に商業・住宅街が展開しており、建物も昭和に入ってからのものがほとんどと思われるが古い佇まいを残している。関東風の出桁形式の建物、また一階部に格子が見られるものもあり、路地に足を踏み入れると生活色の濃い風景もあった。
 




 
沼垂東四丁目の町並


 
 

 沼垂地区は、レトロな町という基盤で最近になり注目されるところとなった。その象徴的なものが「沼垂テラス商店街」だろう。この場所にはもともと工場への引込線があり、下町の市場街といったところだったが、2010年頃から空き店舗を再利用する動きが出てきて、地区で以前から盛んな味噌醤油などの発酵食品のほか、カフェ等に再利用され、多くの来訪者を受入れている。
 沼垂東三丁目の町並  


 

 明石二丁目 土層群が店舗として利用されている   沼垂テラス商店街

訪問日:2024.04.12 TOP 町並INDEX