喜光地の郷愁風景

愛媛県新居浜市【産業町】 地図 
 
町並度 4 非俗化度 6   −銅山とともに成長した町−




 
 新居浜市街地より南、国領川の山峡に入り始めたあたりに道の駅・マイントピア別子がある。かつてこの地区にあった別子銅山の遺構を活用した施設となっており、通りすがりの客のみならずここを目的とする多くの客がある。周囲には水力発電所や坑道への入口に当たるレンガ構築物、専用軌道の鉄橋などが残り、坑道の一部を使って採掘の様子が再現されている。
道の駅から望む水力発電所の遺構


  別子銅山は元禄4(1691)年に発見され、世界有数と呼ばれる生産量を誇る銅山であった。市街地の背後の山地は急峻で平野から急に1600〜1800m級の山々が連なっており、しかも坑道は地下1000mにまでも及んでいたこともあり、銅山の開発は大変な困難を伴うものだった。しかし明治になってフランス人の技師などに技術指導を仰ぎ、坑道の整備や運搬路の拡大などが行われ、生産力が大幅に増した。港近くには精錬所、その間には専用軌道が敷かれるなど、銅山とともに発達した町といえるだろう。
 銅山と港とを結ぶ道と、松山方面と金毘羅を結ぶ讃岐街道が交差するあたりを喜光地といい、特に明治期から繁栄の街区となった。銅山の工員をおもな顧客とした遊興地であり、現在の市街中心部よりも早くから、しかも大きく発展していた。旅館や商家が並び、街道集落的な役割もあった。
 町並として面影が濃いのは讃岐街道に沿う部分が中心で、連続した箇所は少ないものの商家を思わせる建物があちこちに見られる。主要な区間がアーケード付の商店街になっているのが惜しまれるが、木造三階建の旅館建築が残るなど貴重な姿も残り、町並探訪目的で歩くとまた違った姿に見えてくる。
 今となっては国道や商業の中心とは随分離れた位置にあるため、商店街として一時は衰退したが、近年周辺地域の宅地化が進んだこともあり歩いていると空き店舗となっている姿が意外と少ない印象であった。
 








喜光地の町並 讃岐街道沿いに伝統的な佇まいが見られる




木造三階の旅館建築

訪問日:2017.12.03 TOP 町並INDEX