大島の郷愁風景
| 愛媛県新居浜市 【港町・漁村】 地図 町並度 5 非俗化度 9 −西条藩の「金持島」と呼ばれ廻船業で発達した− |
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| 周囲に塀を巡らせた邸宅群が特徴的な大島の町並 | |
新居浜市の市街地外れ、今は陸続きとなっている黒島の港から15分ほどの航海で大島に達する。県内には大島という名の島が多数あるため、新居大島と呼ばれることもある。 中世には水軍の拠点になった伝承も残るが、本格的な発展を見たのは江戸期に入ってからである。海上交通の要衝として各地からの廻船が立ち寄り、町が形成された。四国本土から近い位置にあるが、本土よりも船が停泊しやすく港周辺の海域も穏やかであることも好条件であったのだろう。 寛文10(1670)年の記録では、廻船28・廻船よりやや小型の渡海船と呼ばれる船9、猟(漁)船120とある(大島・黒島を合わせて)。また総人口375名のうち、109名は大島・黒島から他国に回航すると記されている。 最盛期には千石船35隻を有した記録もあり、大坂をはじめ九州や北国と米や雑貨などの取引を行った。商圏はさらに蝦夷地から千島列島にまで伸び、往路は菜種や織物・生糸を積み、帰り荷として漁肥を積んだ。西条藩内ではけた違いの利益を生んだことから、「金持島」と称され藩内第一の商港となった。 また付近は好漁場にも恵まれ、毎年春には紀伊・播磨・安芸・周防などからの漁船が来島、島民とともに鰆や鯛などを漁獲し、それらを大坂に売りさばくなど漁業も盛んに行われた。 黒島港から島に到着するも、本土からの距離が近いため、離島という感触が今一つ感じられない。背後に石鎚山をはじめとした山々が聳えていることもその感が強調される。 島は低いながらも丘陵が波打ち平地は少なく、港から小さな岬を回った西側と港付近から東に向けての二箇所に家々が固まり、後者がより大きい。島では貴重な平地に恵まれた場所だ。 集落の中心部には土塀を巡らせた重厚な屋敷があちこちに見られる。島の歴史からして先代が廻船業を営んだ裕福な家なのだろうと推測できるが、やはり少々驚く。瓦を葺いた格式ある門を構えている姿も目立ち、そのたたずまいは商家町のようだ。ある邸宅の塀の中を瞥見すると、主屋の前に枝ぶりのよい松が植えられ、池のほとりに灯籠が配されるなど、大層豪勢ないで立ちだった。 一方で空き家になり傷みの目立つ建物も少なからず目に付いた。片道15分の手軽な船旅で訪ねられるところなので、町並や集落としてその魅力を保つための取組を始められるのも一法かと思わせた。 |
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![]() 黒島港とを結ぶ市営船 |
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| 訪問日:2024.12.01 | TOP | 町並INDEX |
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